<2018.07.31>起稿
我が家の「庭」とは決して言えない小さいスペースに、野良猫ファミリーが時々やってくる。今朝はこれまで見たことがない新しい赤ちゃん子猫がいた。最近生まれたのかな。
松山千春アルバム『愛を贈る』
(1984年リリース)
売上枚数は、夢野旅人さんのデータベースによると「LP、ミュージックテープ、CDの合算」枚数としたうえで「10~20万枚・本」とある。
その前作の『眠れない時代』もほぼ同数の売り上げ枚数(同データベース)。
それ以前の松山千春アルバムに比べると総売上枚数は落ちたが、一般的には売れたと言える枚数なのかもしれない。むしろそれまでがモンスター的に売れていたとも言えるかな。
中学時代から、松山千春のLPが発売される度に学校の帰り道、書店に立ち寄りオリコン(当時は紙)を立ち見していた。松山千春のLP売り上げ枚数箇所を見るだけだったけど。
私の記憶だと『愛を贈る』が発売初週?で「8万枚」だった。あれ?少ないな、と思ったのを覚えている。”少ないな”という感想は『眠れない時代』(1983年/オリコン週間1位は獲得)に続いてこれが二度目だった。それ以前のアルバムは初週で20万枚前後とか、いつも出ていた記憶がある。
『愛を贈る』と同じ頃だったと思うが、音楽雑誌かなにかのインタビューで、記者が「松山さんのLPの売上枚数が落ちて来ていますが」と振った。松山千春は「売上は見ていない(もしくは「気にしていない」)」と答えていた。
1985年にNEWSレコードが倒産し、ALFAレコードへ移籍。1984年頃から、そして1985年を境に、1986年以降へと松山千春を取り巻く環境は売上的にも人気的にもこれまでとは違う場面に入っていったと認識している。
1986年4月にシングル「野良犬」を、
その翌月アルバム『あたなが僕を捜す時』をリリース
「野良犬」(のらいぬ)、「野犬」(やけん)。今はもういないと思うが、私が子どもの頃、ふるさと山梨にも野良犬が結構いたので、言葉的に違和感はなかった。
ただタイトルとして「野良犬」でなくてもよかったような気がする。あのふるさとにいた野良犬…ちょっとイメージが悪い。
一面的には社会へのメッセージを携えているようには聴きとれるが、やはりこの「野良犬」はあくまで松山千春自身のことでしょう。
松山千春が、大きな環境の変化の中で、時に揺れ、時にささくれ立ち、時に挑戦的になりながら、自分自身を鼓舞するように決意を表明した歌だと思っている。
「何をためらうのか 強い心で」
このフレーズがなかったらこの歌は画竜点睛を欠いただろう。
大学時代には、スローなカッティングのストロークにハンマリングを多用してよく弾き語りした。野音で聴けると勝手に信じこんでいた(歌わなかったとは思うけど…)。
どんな生き方をしようが、明日はやってくる。
繰り返される毎日の中で、どんな生き様で、どんな夢を見るのか。そしてどんな死に方をするのか。
どんな生き方をしようが、明日はやってくる。
何もためらうことはない。二度と訪れることのない大切な今、この時。力の限り生きてやる。
何もためらうことはない。俺がもともと持っている強い心を奮い起こして、また歩き続けてやる。
退屈な毎日が ため息をひきつれて
すぐそこに来ているよ 身動きも出来ないさ
どこで生きて死んで どんな夢を見るの
何に脅えてるの 息をひそめて
傷ついてみるがいい 哀しみにもがく様に
失うものがなくなれば 野良犬の眼が光る
どこで生きて死んで どんな夢を見るの
何をためらうのか 強い心で
どうせ生きて死んで あてもなくさまよう
二度とおとずれない 今を この時
【更新履歴】
<2024.03.30>再掲
<2023.07.15>公式音源挿入