(1981年「時代をこえて」ツアー 日比谷野外大音楽堂)

 

1986年5月に松山千春は日比谷野外大音楽堂でライブを行っている。その時の様子やセットリストを夢野さんが克明に記録されている。以下その中からセットリストを拝借した。

 

同タイトルのアルバム『あなたが僕を捜す時』。そのB面の2曲目「東へ向かう」

大好きな曲で、この時の野音でも歌っている。聴きたかった。

1986年は大学に入学した年。この年のよみうりランドEASTの10周年記念ライブにはかろうじて行ったが、大学の4年間はとにかく忙しく、松山千春動向への気持ちの向き具合が弱かった時期。

 

今年の3月に「東へ向かう」に対して思ったところを書いていたので、一部抜粋・加筆して記載した。
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松山千春「東へ向かう」(1986年)。

デビュー10周年アルバム『あなたが僕を捜す時』に収録。

 

1983年春のツアー、弾き語りで聴いた「走れ夜汽車」

「東へ向かう」と似たようなモチーフだが、この時は6年間の勝負に勝ち、改めて原点に還って歌ったように思えた。

 

しかしこの「東へ向かう」は、デビューして10年目、ピークを越えかけ売り上げも落ちた松山が、「なぜ歌い出したんだ?」と自分に問いかける意味での原点に還り、駆け出しの頃の自分を振り返る。足寄と札幌を往復したあの頃の自分を、そしてその時窓から見えた景色を思い出す。

 

「お前、それでも歌い続けるのか?」「そうだ」―歌い続けることへの決意を自問自答を通して改めて確認し、リスタートを切った心境を歌っているように思う。

 

地道に歌っていけば、また必ず自分の歌に人々が耳を傾けてくれる日が来ると信じて。

 

「東へ向かう夜汽車に揺られ  あれこれ夢を見て

あの頃僕は若さに任せ  恐れるものもなく

 

  窓に映る自分に   頑張りな、と声かけ

  自信ならあると 答えてた

 

  大丈夫かと聞くから  任せとけ、と答える

  好きなことしてるだけだから  いつかきっと誰もが

 

  僕の歌う この歌分かる日も来ると 信じてた」

 

(松山千春「東へ向かう」抜粋)

 

大学時代、山梨に帰省する時は中央本線を使う(と言うか、それしかない泣)。

 

母が逝去してからの帰省。そこには父と妹しかいない。そして東京に戻る。

最寄駅から東京方面、東へ向かう各駅停車は途中「笹子トンネル」という約5kmもある長いトンネルを通る。トンネルに入ると窓に映る自分の顔がよく見える。

 

その時いつも「東へ向かう」が聴こえて来た。

「窓に映る自分に ”頑張りな”と声かけ」「”大丈夫か?”と聞くから”任せとけ”と答える」

 

帰省した実家のいつも座っている場所に母がいない喪失感。そのことを自分の中で整理がつかないまままた東京に戻る。そんなことが何年か続いた。

 

高校を卒業して、大学入学のため東へ向かったと時とは一段違った決意。
 

元気だった頃の母の笑顔が浮かびながら「母の分まで、頑張らないとな」―そう言い聞かせて東へ向かった。

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■1986年5月10日(土) 松山千春 『あなたが僕を捜す時』 日比谷野外音楽堂

「1986年5月10日 松山千春『あなたが僕を捜す時』 日比谷野外音楽堂」S3498

 

セットリスト
01. 野良犬
02. 星屑の歌
03. もう一度
04. あなたへの愛
05. 優しい風
06. SHINNING-シャイニング
07. 悪い夢
--インストルメンタル---
08. Sing a Song
09. 東へ向かう
10. オホーツクの海
11. 今日限り
12. 勇気
13. あなたが僕を捜す時
---encore01---
14. 愛を奏で
15. ロンリー・ナイト
16. 眠れない
---encore02---
17. 愛を贈る
18. 長い夜
---encore03---
19. 星空