<2023.8.9>写真、記事、公式音源挿入

<2018.6.24記事>

 

 

時は流れる。時は全てを変える。悲観的な意味でなく、心からそう思う。その流れを、誰であれ何であれ避けることはできない。

 

松山千春はかつて「慕う」という歌をリリースした(2010年)。

「ふるさと」と「自然」を歌わせれば右に出る人はいないと、絶対的な意味で私が勝手に思っている松山千春の真骨頂的な曲。その最後のフレーズ。

 

遠く遥かな ふるさと慕えば

穏やかな空 変わりなき山

遠く遥かな ふるさと慕えば

幼き日々は 私の宝

 

短いフレーズだが、松山千春が過ごした足寄の風景と、貧しくも幸せに過ごした幼き日々、そして家族との情景が浮かぶ。

 

冬はマイナス30℃にもなる足寄で、春になると雪解け水が自宅の中に流れ込むようなおんぼろの家で、家族5人寄り添い合って生きてきた。

 

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(足寄/2022年10月1日筆者撮影)

 

貧乏のどん底、今日を生きるのが全て、明日のことなど分からない中、家族5人で必死に生きてきた。

 

小学生の頃、金(かね)になる十勝石がドブ川で取れると友達から言われた松山千春少年は、家計を助けるために川に入って泥だらけになって探したが、それは友達が松山千春を騙しからかっただけ。笑って逃げて行った。

「あんときほどくやしかったことはない。あの屈辱は俺の人生のポイントだ。これが貧乏なんだよ」とかつて綴った((自伝「足寄より」)。

 

 

そんな生活でも、家族の愛があり、ぬくもりがあった。還暦を越えても「もし生まれるとしたらあの両親のもとに、あの家族の中に生まれたい」(松山千春)と感謝を捧げる我が家があった。

 

時の流れをもってしても変えられない「思い」と「心」があった。

 

(松山千春一家:姉は写っていない)

 

2008年、松山千春は「我家」をリリースしている。

 

松山千春が自身の来し方を思い、そこから松山千春の哲学を抽出し、歌い上げた佳曲。

 

どんなに貧乏であっても、愛があれば幸せだ。愛する家族がいて、温かい我が家があればそれだけで幸せなんだ。

 

今日を生きるのが精一杯であったとしても、「いつか必ず!」との夢があれば、空しさはない。

夢を希望として、苦しい日々も生き抜いていける。

 

こうした考え方は特別なものではなく、世間一般に浸透しているものだろう。

しかしそれをあえて歌にすることが松山千春なのだと思う。

 

「大空と大地の中で」「この道 寄り道 廻り道」「歩き続ける時」「生きがい」「大いなる愛よ夢よ」「あなたが僕を捜す時」「虹のかなた」「凡庸」「慕う」「決意」など、松山千春の真骨頂と言える楽曲が多数ある中で、重複するが、この「我家」はそれらの楽曲の根底に流れる、松山千春の哲学が脈打っている。

 

 

夕暮れの街 駅前通り
我家はそこを 右に曲れば

夕暮れの街 一人で帰る
見上げた星は 光りきれない

この先この僕に 何が出来るのだろう
いくつもの不安を かかえたまま今日も
終りを告げてく さよならと

夕暮れの街 駅前通り
役場の横に 灯りし我家

貧しさというのは 愛を知らないだけ
空しさというのは 夢を持たないだけ
生命よ輝け 満天に

貧しさというのは 愛を知らないだけ
空しさというのは 夢を持たないだけ
生命よ輝け 満天に

夕暮れの街 駅前通り
役場の横に 灯りし我家 灯りし我家

 

 

(補足)

松山千春の歌をより多くの人たちに聴いて欲しいという私の願いから見ると、歌詞にもう少し「我家」と「家族の情景」が盛り込まれるとよかったと思う。

 

ファンの皆さんはよく知っているので、この歌詞でも充分情景が浮かぶが、そうでない人にしてみれば、松山千春が育った家庭環境などは歌詞からは分からない。

 

そこが具体的になれば「貧しさというのは 愛を知らないだけ 空しさというのは 夢を持たないだけ」というこの曲のメインメッセージがより引き立っただろう。

 

こういう人生の普遍的な部分を歌詞に託す松山千春の歌を多くの人たちに聴いてもらいたい、伝えていきたいといつも思っている。