結果的に松山千春さんは、松山三四六さんの第二の人生の舞台を演出した一人なのかもしれません。
松山三四六さんを自身のステージに上げたのも、苦労して頑張る人、大変な状況のなか苦闘する人を放っておかない千春さんの人間性の一端なのかもしれません。
(以下の記事と、このアルバムタイトルに関連はありません)
6/5 週刊現代 「天才」と呼ばれたアスリートたちのその後の人生
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55449
長野県を中心にモノマネタレント、ラジオDJ、歌手として活動している松山三四六さん(本名・秦光秀、47歳)は、中学時代は相撲で若乃花(現・花田虎上)に圧勝し、柔道では吉田秀彦に「アイツには勝てない」と言わしめた天才アスリートだった。
ストライカーが大工に
だが、芸人としてのセンスの無さにも気づかされた。紆余曲折を経て、
松山千春のコンサートにて飛び入りで歌を披露したことがきっかけで、ラジオのDJとなった。
さらに長野県でのラジオ番組出演を皮切りに、現地での仕事がどんどん増えていったという。
「7年ほど前から長野大学の客員教授をやっていますし、道場で柔道も教えています。選手として僕は努力が足りなかった。なぜそれに気が付いたかというと、子どもたちを教えるようになったから。
僕は天才だったから、『なんで、こんなことができないの?』とつい言っちゃうんですよ。それで指導法を必死に勉強するようになって。僕は『できないから面白い』という探求心を、若いときに持つことができませんでしたから。
僕の息子も柔道をやっていますが、夢破れた後も、十分に充実した生活を送れる人間力の土台をいま築いておかなくてはいけないよ、と口を酸っぱくして言っています」