訃 報
昼過ぎ、飛び込んできた西城秀樹さん逝去のニュース。2回の脳梗塞で右半身麻痺の後遺症が残る中、再びステージに立ちたい一心で苦しいリハビリに励む姿を思い出します。
心からご冥福をお祈りいたします。
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5月9日、松山千春「弾き語り」ツアー東京公演初日。
”感動した曲”シリーズ、いよいよ千秋楽!(・・・? もう終わり??)。
「電話」
1983年発表当時、高校通学の時には自転車をこぎながら、こればっかり口ずさんでいたのを覚えている。
ここに至るまでライブで何度聴いて来ただろう。「雪化粧」「大空と大地の中で」ほどではないが、少しお腹いっぱい感が出始めていたが、この夜の弾き語りでそれは吹き飛んだ。
全く違う歌のように聞こえて、新鮮な感動を覚えた。さびでギター演奏を止め、アカペラ的に伸ばしながら歌うところなどは、本人が弾き語りででき得る最大限の演出と言っていいぐらい、よかった。
「今度電話かける時まで まだひとりでいるかな?」
逆説的にプロポーズしているように当時は聞こえていた。
「恋」~「電話」~「燃える日々」が一連の物語だと言うのだから、「燃える日々」の歌詞内容への私の理解からすると、「電話」のこの二人はやっぱり別れたのだろう。
「銀の雨」にも似たような具体的な心理描写。
「銀の雨」とは対照的に生活描写を通して男心を歌う。
微妙な心の揺れと不安、きっと”情けない男だな”と自覚しそうなほど繊細に女性を思う気持ち。1番から4番までの場面がとても自然に流れていく。名曲だ。
「電話」が発表された当時、雑誌のインタビューにスタッフが語っていたのを覚えている。
「今、千春は『電話』に見られるような身近なラブソングを作っているようですよ」(要旨)
その流れで出来たのが「愛って呼べるほどのもんじゃない」や「君は」などだろうと、個人的には感じている。
眠れぬ夜は あの店で酒を飲み
夜明けの街を 歩くのもいいよ
お前ひとり いないくらいで
何も変わりないよ
部屋の鍵は かけやしないけど
ラジオの音に 眼をさます毎日は
けだるさだけに いだかれているよ
ラジオつけて 眠るくせは
早くなおさなけりゃ
ひとりきりじゃ さびしすぎるけど
それから今度 働いてみるからね
自信はあるさ うまくやれるはず
お前ひとり 愛せないで
こんなこと 言えないね
心配ないよ 子供じゃないから
お前はどうさ おとなしくしてるかい
見合いをしてさ 落ちついてみろよ
こんど電話をかける時まで
まだひとりでいるかな
バカなことを きいたみたいだね
こんど電話をかける時まで
まだひとりでいるかな
バカなことをきいたみたいだね
「電話」を聴くと必ず浮かんで来るライブでのシーン。ファンの皆様には、小言的な内容で申し訳ありません。
1983年春「今、失われたものを求めて」ツアー。一部は弾き語り、全編アコースティック編成のステージだった。
このツアーに先立ち、松山が音楽雑誌(確か「ギターブック」:当時)のインタビューに応えていた。
「騒いで終わるコンサートの流れを変えたい」
その結果、ほぼどの会場も13曲程度しか歌わず、アンコールは「電話」だけ。
確かに騒いで終わる歌ではない。
しかし騒いで終わらなければいいんじゃないの?せめて5曲程度アンコールで歌い、最後の最後に「電話」で閉めればいい話しではなかったのか、と今でも思う。
そもそも松山が当時の”騒いで終わるコンサートの流れを変えたい”などと思う必要もない。
それぞれのアーティストが自分なりのライブをやればいいだけの話。
曲数も少なくとても残念で、不完全燃焼だった。
当時松山27歳。前年に真駒内5万人ライブを成功させ絶頂期だった。音楽シーンの最前線にいたことは間違いない。
狙いやトークも若いし青い。その松山を追いかけ、話す内容にまで神経を集中させていた当時の私は高校1年。これまたさらに青いし未熟だった。
しかしそういう気付きや心境の変化、成長も、40年間松山千春という一人の人間と併走してきた証だ。時は流れたなぁ、と思う。