2006年6月17日、松山千春デビュー30周年ツアー初日、幕張メッセイベント・ホール。
以前にも書いたが、それまで参加してきたライブの中で一番ステージに近い席。
すぐそこで松山千春が弾き語りで歌う幸せな時間だった。
その本編ラストは「輝く時代(とき)」
サビで高音をきかせ声量で勝負する熱唱より、静かなメロディでその歌詞の内容に合わせて強弱をつけて感情込めて歌うことの方が難しいように思う。
この時の「輝く時代(とき)」はまさにその難しさを見事に表現していたと思う。
ツアーの途中から「egoist:エゴイスト [自己中心主義者]」に変わってしまったが、最後まで「輝く時代(とき)」で通して、あの歌唱を多くのファンの皆さんに聴いて欲しかった。
指でなぞった 君の笑顔を
いつまでも忘れずに しまい込んでおくから
君がいたから 歩き続けた
この先は一人でも 何もこわくはないさ
青春という 輝く時代を
ふり返る日が 来るのだろうか
指でなぞった 君の笑顔を
いつまでも忘れずに しまい込んでおくから
最後に君の 手を握りしめ
少しだけやせたかな
なんて悲しいんだろう
君の涙は 見たくないから
背を向けて 胸を張る 精一杯の強がり
青春という 輝く時代を
ふり返る日が 来るのだろうか
最後に君の 手を握りしめ
少しだけやせたかな
なんて悲しいんだろう
この歌詞の主人公がいるのは今なのだろう。今、君と別れる。君の涙は見たくないから精一杯強がって、背を向けて胸を張る。君のこれからの人生に幸多かれと祈りながら。
そしていつか今日のこの別れを、君と過ごした輝く青春時代を笑顔で振り返り、懐かしむ日が来るのだろうか。
最後の「最後に君の 手を握りしめ 少しだけやせたかな なんて悲しいんだろう」というところ、とくに「やせたかな」の部分の歌唱が本当に見事だった。
サミュエル・ウルマン(1924年没。アメリカの実業家、ユダヤ人)という詩人の詩に「青春」(もしくは「青春の詩」/日本語訳)がある。
かつて恩師が教えてくださった詩で、日本ではとくに詩い出しの部分が馴染みが深い(以下抜粋)。
「青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる」
十代、二十代の若い時代だけを青春と言うのではない。生涯青春。
心の持ちようで。逞しい意志で。豊かな想像力で。燃える情熱で。清新な心で。臆病さを振り払う勇気で。冒険心で。
そして自分の夢、理想に向かって挑戦し続けるその中に、生涯にわたる輝く時代(とき)がある。