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<2018.5.2記事>

 

 

 

【木漏れ日】樹木の枝葉の間からさし込む日光。

 

詩的で日本的、とても美しい言葉だと思う。
 

驚いたのは、Wikipediaによると「地面に投影される木漏れ日は、全て太陽と同じ丸い形をしている。日差しが入り込む木の葉の隙間の形状には、一切影響されない」らしい。

 

ホントかな?でもどうやらそうらしい。

松山千春「こもれ陽」

 

2004年5月19日発売のシングル「一輪の花」のカップリング。2005年5月発売のシングルコレクションアルバム『起承転結10』の10曲目。

 

 

2023年春のツアー、第二部でレギュラーで歌われ、私自身は東京国際フォーラムと府中の森芸術劇場で聴いた。

 

(コンサート・ツアー2023春@仙台サンプラザ)

 

 

 

こもれ陽の中 ゆり起される

どこからともなく 聞こえてくる
貴方の声に 懐しさと

自分らしさを 取り戻す

まばたきすると 全てが終る

気に病む事等 無駄に思え
泣きたい位 哀しいね

叫びたい程 哀しいね

こんなにも 愛されて いるって思う
それだから なお更に 愛していたい

こもれ陽の中 うたかたの夢

めぐり逢うから 別れがくる
貴方の声を 手放すように

優しい風に あずけよう

置き去りにする 自分自身と

忘れられない 自分がいる
泣きたい位 哀しいね

叫びたい程 哀しいね

こんなにも 愛されて いるって思う
それだから なお更に 愛していたい


 

国語辞典での表記は「木漏れ日」

 

松山千春が意図した「こもれ陽」がこれと同じかどうかは分からない。

 

主人公がいる部屋の前あたりに樹木があるのか。いや、もしかするカーテンを樹木に見立て、そこからもれ差し込んでくる太陽の光を「木漏れ日」と同じ意味合いで「こもれ陽」に重ねているのかもしれない。


こもれ陽の雰囲気と、朝の陽光が差し込む部屋の明るさ、その陽光が当たる主人公の表情がどことなく伝わる。


歌詞とメロディーとアレンジ、そして松山千春のリラックスしたようなライトな歌い方がマッチしているとも思う。

 

(アルバム『夏の終わりに』から)

人生は瞬きのようなもので一瞬で終わる。だからそのなかでくよくよ気にやむことなど無駄に思える。同時に、そうは言っても人生は長い。だからこそ小さいことに悩むのもまたどうでもよく思える。

 

それはきっと経験を重ね、人間的に成熟してきた時、そう思えるのかもしれない。

人生の途上で愛する人と別れるのはもう宇宙の法則と言っていい。

過去に置き去りにして忘れ去りたい自分がいる。一方で、こういう自分だからここまで来られたと、大切にしたい自分もいる。

これらのことは一見哀しいことかもしれない。でも哀しいことなんてなにひとつない。


自分の中に全力を尽くしたという誇りと自負があれば、その途上で起こることは、短期的には最悪に見えることでも長い目で見れば “こういう意味があったのか”と心から実感する時がくる。全てに意味がある。

事実は真実と違うことが多々ある。しかし自分が魂を注いで積み重ねた真実は簡単には崩れない自分の歴史となる。

矢沢永吉さんがオーストラリアに進出しようとした1998年、総額30億円という詐欺被害に遭った。犯人は一緒に仕事をしてきた矢沢さんの部下、FやK。
 

その時の心境を矢沢さんは2004年4月に刊行した「アー・ユー・ハッピー?」に長文で綴っている。⇒ 「アー・ユー・ハッピー?」(2017年9月15日記事)

 

 

苦悩に沈む矢沢さんに夫人が声をかける。

「あなた、 FやKを憎んだところで、 今さら消えたお金と時間が返ってくるわけじゃない。やらなきゃいけないことは、ほかに山ほどあるわ。かわいそうなヤツらだと思って、こっちからパスしちゃいなさいよ。


あんまりあの人たちを憎むことにかかわらないほうがいいわ。憎んだら、あなたまで持っていかれちゃうわよ」

矢沢さんはこのアドバイスを「うちの女房はいいことを言った」と受け入れる。

恋人であれ、家族であれ、恩師であれ、親友であれ、自分のことを分かってくれる人がいることがどれほど有り難いか。

 

その人たちの声に懐かしさと優しさを感じる。安心感に包まれる。

 

自分が大切にされている、であればなおさらに、その人たちを大切にしたい。

さて、遮へい物の形に影響を受けないという丸い木漏れ日を確認しに、外に出たくなってきた。

 

 

 

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撮  影 者:@takako_0625さん

撮影年月:2023年6月

撮影場所:長野県