非難中傷が集中すればするほど、自分の原点を深めることができる。

四面楚歌、状況が苦しければ苦しいほど自分が生きる目的を確認することができる。

 

車中で聴くために、CDラックの松山千春辺りを数枚取った。

その中に「松山千春コンサートツアー1984 『愛を贈る』 東京厚生年金会館」(1984年12月1日)ライブのラジオ音源があった。

 

これも本当に久しぶりに聴く。車を運転しながらも、改めて幼少時代を思い出すトークに感動する。

 

FM東京(当時)で1984年12月30日に放送されたTDKトップオブジャパン「大空と大地の中で 
―松山千春ライブ'84-2」。

 

私が高校2年の時。当時の大きなステレオコンポの前で身動きもせずに聴いていたことをはっきり覚えている。

放送されたのは―


「逢いたい」 「Sing a Song」 (トーク1) 「男と女」 「帰郷」 「僕の好きな風景」
「空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように」(トーク2) 「 限りある命」
「こんな夜は(弾き語り)」

 

当然放送用に編集されているが、結果的に「僕の好きな風景」~「空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように」などの曲の繋ぎとトークがとても心地よい。

 

そしてなんといってもトーク2(便宜上私がそう記載)だ。ファンの皆さんも覚えている方々が多い。

 

幼少時代を振り返り、お母様との思い出をそしてフォークソングに出会ったことを語る。

(以下YouTube)


テレビに出演して以来松山へのバッシングが週刊誌等で続いていたが、そのことを家族が心配していると思って足寄の実家に電話をかけたら、お姉様が電話に出た。

 

「千春、もう足寄帰っておいで。お前、そこまでやったからいいでしょ。もうここまで来たんだからいいでしょ。早く足寄に帰っておいで」

 

「姉貴、馬鹿だな。やっとここまで来たわけじゃないか。これからじゃないか。心配するな、俺頑張るから。俺が歌ったらみんなが拍手してくれるんだよ。一曲一曲に拍手してくれるんだよ。俺みたいな男の歌でも待っていてくれる人がいるんだよ。任せろ、やれるところまでやってみるから」

 

今こうやって打っていても泣けてくる。

 

 

本当に辛かったと思う。自分の気持ちとは真逆に、全国的と言ってもいいぐらいの規模でバッシングされていた。

 

歌手と言ったってあくまで私人だ。弱いと分かった者をよってたかって攻撃する。今も昔もマスコミのこういう場面での低劣さは変わっていないように思う。

 

高校時代も感動で涙が出たが、50まで来ると同じ内容でも感じ方がまったく違う。

 

私自身さえもあらぬ非難に晒されたり、外されたりしてきた。

松山千春、本当によく頑張った!と心から思える。

 

偉そうなことは書けないけど、

非難中傷が集中すればするほど、自分の原点を思い出すことである。

非難中傷など耳に入らないぐらい集中して原点と向き合うことである。

「何のため」にその道に生きるのかを問うことである。

 

この時の松山がそうだった。これだけバッシングされれば全て投げ出したくなる。

生きるのも辛かったかもしれない。

 

しかし「俺の歌を待っていてくれる人がいる。その人たちに歌を届けたいから歌うんだ」という松山千春の原点に還った。「何のために歌うのか」―その原点を見つめ自身を省みて、投げ出さずに歩き続けた。

 

「任せろ!」と自身に言い聞かせ続けた。

 

だからこそ今の松山千春がいると思う。


重複するが、松山千春、本当によく頑張った!と心から拍手を送りたい気持ちが、再び込み上げて来た。