2月中旬になると、長女の雛人形を家内と長女で飾る。家内は、片付け遅れると嫁に行き遅れるという迷信(?)を固く信じて、3月3日の夜には片付けている。
昨日帰宅したら長男の五月人形が飾られていた。家内と長男で飾ったそうだ。
こうしたものは一体いつ頃まで飾るの?― 諸説あるらしい。
七五三の最後の七歳まで、昔の大人仲間入りの十五歳まで、子どもが興味を示さなくなった時まで。・・・。
長女大学1年、長男高校2年。とくに長男はもう興味はないらしい。かわいい時代はいつだったか(^o^)。家内は毎年「期限なんてないわよ。一生飾るのよ!」と言っている^_^。
自分の家族のことで恐縮だが、今から約17年前、家内がある新聞に投稿した声が掲載された。
子の後ろ姿に母の心も育つ(声)
ようやく一人歩きを始めた娘の後ろ姿ばかりを集めたスナップ。
寝返りが初めてできた芋虫のような後ろ姿、 子供番組に夢中になる後ろ姿、 道端に座り込みアリをいじる後ろ姿。 今後は娘の走る姿、ランドセルを背負う姿、自転車に乗る姿、
やがて、 生涯の伴りょと腕を組む姿などがアルバムに増えていくのかと思う と、希望は広がる。 「親の背を見て子は育つ」というが、
私は日々驚くほど成長する娘の後ろ姿を見守ることで、 母の心を育ててもらっている。 「スポック博士の育児書」に、誇り高い子供たちを育てるには、
世の中の問題を解決するのに直接役立とうとしている親自身の行動 こそ重要であると書かれている。親として人間として、 私自身が人と社会に貢献している後ろ姿を見せ続けることが、 一番の子育てになると信じている。 私たち親子は、こうして互いの後ろ姿を見せ合いながら、
一緒に育っていくのだと思う。
子どもは親を選んで生まれて来るという。よくぞ我が家に生まれてくれた。感謝の毎日だ。
子どもの無事や成長を願うのは当然だ。しかし子どもを通して親としての心をこっちが育ててもらっていると思う時が多い。君たちに出会えて本当によかった。
そして私や家内の両親がどれほどの深い愛情を私たちに注いでくれたか。大変な家庭環境の中、守ってくれたか。痛いほど分かる。子どもたちによって、人間としての心を教えてもらっている。
人生50を越え、自分の社会人としての人生の先が何となく見えて来た(気になってしまう)。
しかしまだ50。働けることに感謝し、やりたいことがある、実現させたい夢がある。
そのためにまだまだこれから!
pay forward という言葉。”ある人物から受けた親切を、また別の人物への新しい親切でつないでいく”という意味で、それは親子にも通じる。
親から受けた恩、心を子どもたちに繋いでいく。
自分の夢を実現するために働く。それはそうだ。しかしもうそれだけではない。「こんな私のもとに生まれた」君たちのために、これまでも働いてきたし、これからもpay forwardの意味をかみ締めながら懐深く働いていく。
松山千春「働きましょう」
貴方がいつか大人になって 困らぬように働きましょう
こんな私のもとに生まれた 貴方のために働きましょう
貴方が笑う泣き出す時も 疲れた顔は見せずにいよう
どんな時でも心配します しないはずない元気であれと
貴方がいつか大人になって ため息ついて暮らさぬように
出来る限りの愛を注ごう ぐれないようにまとまらぬよう
我慢しなさいほんの少しの 勇気があれば生きてはゆける
回りの人に気使いなさい 貴方はいつも一人ではない
(松山千春「働きましょう」抜粋)
私たちの親が私たちに教えてくれているように思う。そして私たちが自分の子どもたちを思う。
シンプルでストレートな歌詞。これぞ松山千春!という素晴らしい一曲だ。