<2024.02.24>公式音源挿入
<2018.03.30>起稿
(2017年筆者撮影/北海道)
長女が今春大学に入学する(2018年)。この間生まれたばかりのような気がするがもう18歳。学びに学んで力をつけて、人の為に生きる、君の道を歩んで欲しいと願う。
18歳の私が山梨から東京の大学に出た32年前(1986年)も、つい昨日のことのように鮮明に覚えている。
松尾芭蕉は「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」(おくの細道)と詠ったが、まさに年月は全力疾走の旅人のような気がする。
小川破笠 筆・芭蕉翁像
江戸中期/芭蕉翁記念館蔵
現在(2018年現在)では大学・短大進学率は50%を超えているが、私が大学に入った年の大学・短大進学率は約35%、大学だけでみれば約25%だった。
たまたま進学校に通っていたため、同じ高校の同級生はほとんどが大学や短大に進学したが、中学時代の同級生をベースにすれば、4人のうち1人しか大学には行っていない計算になる。
山梨県下いくつかの進学校以外の高校に通っていた同級世代の多くは大学に進学していない時代だった。
そんな時代に、ましてや家計も決して楽ではない中、両親が私を大学に送ってくれた。いつも両親に心から感謝している。
今春も多くの高校生が新しい道に進む。充実した学びの日々、充実した仕事の日々、大切な自分の一日一日を積み重ねて欲しい。
彼ら彼女らの健闘を祈る。
松山千春
「空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように」
1979年5月にリリースされた松山千春4枚目のオリジナルアルバムに収録されているタイトル曲。アルバムのオリコン最高位は1位。
細かい話しだけど、タイトルの「かける」を書く際に、「駈ける」にするか「駆ける」にするか、いつも迷う。「駈ける」は常用外と認識しているので、通常ならば「駆ける」となるところなんだろうけど、「駈ける」が使われている。
リリース以来、今も大好きな曲。はじめて聴いた時、衝撃的に感動した。歌詞とメロディ、アレンジから北海道の広大な情景が浮かび、見てのとおりそれはジャケット写真ともマッチしていた。
アコースティックギターのベースランニングから静かに入り、アコースティックギターメインのアレンジ(清須邦義)。昔からよく弾き語りしたし、今でもその頻度が高い。
果てしなく続く道 立ち止まる若者よ
名も知れず咲き誇る 野の花に送られて
歩き出せ今すぐに その胸に夢を抱いて
振り返ることもなく 荒れ果てたこの道を
空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように
歩き出せ今すぐに その胸に夢を抱いて
歩き出せ今すぐに 若者よ力尽きるまで
果てしない道、道の遥かさにふと立ち止まる若者。その若者を見守り応援するように咲き誇る無名の花々。
諦めるな。空を渡る風のように、大地を駆け抜ける風のように、大きな心を持って、夢に向かってすぐに歩き出せ。そして力尽きるまで歩き続けろ。
松山千春の中から自然と湧き出でた歌詞とメロディだと実感する。これだけ歌詞(語数)が少ないのに、これだけの大きなスケールを感じさせるのは、的確にチョイスされた言葉と、何よりメロディの力によるところか。メロディは松山千春得意の三拍子。
歌詞とメロディとアレンジ、そして松山千春の哀愁を帯びた声。四者が見事にブレンドした松山千春初期の名曲。いつでもライブで聴きたいと待っている曲。
「空を飛ぶ鳥のように野を駈ける風のように」
(公式ライブ音源/1980年NHKホール)
「卒業」は一般的にはgraduateが使われる。まさに学業などが終了(修了)するという意味に重きを置く。
一方でcommencementも時に使われる。本来の意味は”始まり”。主にアメリカにおいて学位授与式、卒業式のことを指すようだが、一つの場面の終了(修了)は、イコール”新しい場面の始まり”と捉える。
「空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように」―「卒業」の後者の意味を踏まえ、つまり新しい道を歩き出す始まりの意味で、これもまた松山千春が歌う「卒業」なのかもしれない。
(2014年3月筆者撮影 北海道当別町)