松山千春アルバム
「自由の彼方へ」(1988年5月) 「憂い」「物語」
「Message」(1988年11月) 「転機」「提唱」「Message」「流浪」
「STANCE」(1989年4月) 「バラード」「蒼き時代の果てに」
「ISHI」(1989年11月) 「麗-Rei-」「凡庸」
「男達の唄」(1990年) 「途上」
「純」(1991年) 「ボーダーライン」「雑踏」「純-愛する者たちへ-」
「挫折」(1992年) 「情景」「INTENTIONAL」「挫折」
「夏の終わりに」(1993年) 「回想」「ラプソディー」
「24時間」(1994年) 「哀願」
一般的に歌のタイトルはその歌詞の中にある言葉を持ってくることが多いのだろうと思っているし、松山の楽曲もその例に漏れない。むしろそのど真ん中を行っている感が強い。
その中にあって、上の曲たちは歌詞を通して伝えたいメッセージや歌詞の趣旨をピックアップして、タイトルが付けられているものだ。
この手法は初期の「生きがい」などにも見られるが、1988年から91年頃までの4年間ぐらいに特に好んで使った手法のように思っている。そして個人的にはこうしたタイトルの付け方がとても気入っている。
その中でも
「蒼き時代の果てに」 「凡庸」 「途上」
「情景」 「挫折」 「ボーダーライン」
の6曲はとくに好きな歌であり、歌詞の趣旨に合致した適切なタイトルが付けられていると思う。
ちなみに「ボサノバ」という曲がある。
ボサノバ自体はブラジル音楽のひとつのジャンルの呼称である。”愛するふたりをボサノバのリズムが繋ぐ”と、歌詞の中で使われ、曲もボサノバ調なのでタイトルをそうしたのだと思うが、失礼ながら少々笑った。ジャンル名をタイトルにしなくても・・・。
その手法でいけば、「うぬぼれ」「長い夜」「LOVE」などのロック調の曲に「ロック」などと付けることになるのか?などと考えてしまった。
さて、上の6曲は気に入っているということもあるが、「タイトル」自体がメッセージになっているとも言える。
推測だがこの付け方をする場合、出来上がった歌詞を一度俯瞰する必要があるはず。歌詞を作っている間、自分の中にあった気持ちを摘み取ることもあるだろう。
そこでは自分が生み出した歌詞を、自分で”この歌詞は何を言わんとしているのか”と自己点検する。その一手間がいい、と思っている。