(2017年7月26日 07:00撮影)
 

 我が家の庭とも言えぬ小さいスペースで4年前からひまわりを育てている。2011年、東日本大震災が起きた年の夏、瓦礫の中でただ一輪咲いたひまわり、後に「石巻ど根性ひまわり」と名づけられた。震災からの復興と震災の記憶忘却を止める象徴として、今や世界中に広がっている。我が家のひまわりはその7代目。

 

 今朝は曇っていたが、花はちゃんと太陽の方向を見ている。太陽の動きを追って回るから「ひまわり」。しかし実際に回るのは花が咲いてからよりも、咲く前の、成長が大きい時期だ。我が家の7代目も、まだ開花していないひまわりの方が、動きは大きく、朝と夕方では茎の向きが明らかに違い、茎全体で太陽の行く先を追いかけている。

  松山千春の「ひまわり」という歌
   「”太陽の行く先を追いかけるひまわりが なんとなく悲しい”と君はつぶやいた

    何事も真剣に考える君だから 答えを持つそんな人とめぐり逢えるといい」


   「揺れる思いと 駆け巡るのは かけがえのない青春の日々

    ひまわり ひまわり 時を超え 心に 心に咲き誇れ
    この愛 この愛 いつまでも 褪せてしまわぬように」

 ―男女の別れの歌詞なのか、相手を強く恋い慕う歌詞なのか。しかし夏の日差しと空、ひまわりを見ているひと組の男女の様子が、美しい言葉で丁寧に描写されている。

  我が家のひまわりは前の道に面した所に植えている。お母さんが小さなお子さんの手を引いてそこを歩いている。「お母さん、このひまわり大きくて綺麗だね」と、ひまわりの前で立ち止まって母子で花を見上げて欲しい―そんな光景を勝手にイメージしている。
  2メートルになろうする大きなひまわりの開花はもうすぐ。もう少しでそういうシーンが見られるかな。