「カーネル・サンダースの教え
~人生は何度でも勝負できる~」
中野明 著/2012年刊/朝日新聞出版
ケンタッキー・フライドチキンの入口でお客様を迎えるカーネル・サンダース翁は優しさに溢れ、人柄の良さそうな顔をしている。しかし、実際のカーネルは、短気で汚い言葉を連発する口の悪さ。すぐに人と喧嘩する血気盛んな人だった。そして正義感が強く、人びとのために奉仕することを何よりの喜びとする人だった。▼このカーネル・サンダースがケンタッキー・フライドチキンを作り始めたのはなんと65歳、事業に失敗しまたも無一文になってからである。早くに父を亡くしたカーネルは10歳から働き始める。農場での労働、ペンキ塗り、蒸気機関車の機関士、法律事務所、タイヤのセールスマン、ガソリンスタンド経営、レストラン経営、ホテル経営、カフェ経営など数え切れない仕事を経験し、大きな成果を残してきた。そしてそれ以上に失敗、挫折を繰り返してきた。時には商売敵と銃撃戦をやらかし、仲間が銃殺されたこともあった。▼有能な料理人であり腕利きのセールスマンだった彼は、どんな事業を展開するにしても常に「ビジネスより人ありき」「我が身の前にまず他人に奉仕せよ」をモットーに、失敗するたび再起してきた。その姿勢が65歳にしてケンタッキー・フライドチキンを立ち上げることに結実し、わずか7年たらずで当時のアメリカ第一のファストフード店へと成長させた。▼あのトレードマークの白いスーツと蝶ネクタイ、ステッキを持ってフライドチキンの売り込みとフランチャイズ拡大に全米中を駆け回った。90歳でこの世を去る時、棺の中の彼の亡骸はあの白いスーツに纏われた。▼七転び八起き、不撓不屈―そんな言葉がとてつもない重みをもって伝わってくる彼の生涯だった。今、社会で必死に戦う人たちや、「もう終わりだ」と絶体絶命の状態に立たさている人たちにとって、ひたすら前を向いて走り続けた彼の生涯は、大きな勇気と一歩前に踏み出す力を与えてくれる。
*「カーネル・サンダースの教え」(中野明 著/2012年刊/朝日新聞出版)