父の言葉の重さ | 一般社団法人HK たかまつ24

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こんにちは。

一般社団法人HK たかまつ24です。

 

まさかの梅雨明けですねびっくり

 

暑くなってきましたので水分をきちんと取って

介助中の熱中症にはじゅうぶん気をつけましょう。

 

 

 

今日は、利用者さんの投稿が新聞に掲載されましたので

ご紹介いたします。

 

あじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさいあじさい

 

『父の言葉の重さ』

 

私は嫁いでから28歳で筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、

29歳で実家に帰り、両親に世話になってきた。

両親は農業、炭焼をしながら介護をしてくれた。

 

火を相手の炭焼はきつく、汚れる仕事だったが

山に囲まれた土地で長年生活してきた両親にとって

人に気を使わず、自分のペースでできる仕事だった。

 

私も子供の頃、炭焼小屋での生活で忘れられない思いがある。

山でのおやつは、ヤマガキ、あけび、ガマズミ、シャシャブ等々。

一番遠い記憶が鮮明によみがえってくる。

 

疲れ果てて帰っても、私の介護が待っていた。

仕事に休みはあっても、介護は年中無休で

時間に遅れたら、失禁でさらに手間がかかった。

 

そのような状況にもかかわらず、父は

「糸美が病気になってでも帰ってきてくれてうれしい。

お父ちゃんの生きがいは、糸美を世話すること」

 

嫁に行った娘が、手がかかるようになって帰ってきたのに

待っていた、両親の深い愛情だった。

 

病気が進行し、夜間呼吸が苦しくなり

1時間ごとに父に体位交換をしてもらった。

 

心身ともに安定した後、心筋梗塞で別れを告げるまもなく召された。

父亡き26年、家族の負担は増加するばかりであるが

在宅を継続している。

 

「病気になってでも帰ってきてくれてうれしい」

私の居場所は自宅である。

 

父の言葉は胸に刻まれ、生きる原動力となり

どんなにつらいことがあろうと私を支え

力づける言葉となっている。