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です。バーチャルですが......

どたどたどたどたっ、

ばたん。


数分後、ようやく正気に戻り、いろいろ思案する。


ううむ。
ニュースであれバライティであれ、しばしば専門家とやらの意見を
VTRで流す映像がある。専門的なうんちくにあ~だこ~だ言う
つもりはさらさらない。しかしながらあの背景はなんだ。
教授某や評論家某のVTRの背景は常に本の山だ。まるでこれだけ
アタシは学術研究いているのだと言わんばかりの振る舞いだがなにか
仕掛けがありそうだと、この前ちょっくらそのシーンを録画して
チェックさせてもらった。
すべての映像を録画しているわけではないのだが、この教授某の後ろに
陳列されている本のタイトルをよくよくチェックすると、これはアンタの
書いた本じゃないか!!と叫んでしまった。自分の著書をあえて映像で
茶の間に魅せ易いところに配置するなど、とんだクセ者だ。
いろいろ考えるのだ。彼らの依頼料を安くするためのTV局側の手段なのか、
はたまた、その教授某が傲慢な態度で指図したのか、どっちだと。
じゃあ料理研究家に意見を伺いたい時は、本人かTV局側が
「背景は料理にしたい。」
と言うのだろうか。卵やら牛乳やらみかんやらバナナやらを置くのか。
そんなことはなかったぞ。料理研究家の岸朝子は、殺風景な中、

「おいしゅうございます。」

と持ち味の口調で勝負しているではないか。
まあいい。これから先、教授某や評論家某の背景に興味を持ってもらいたい。
そうすれば、彼らのいやらしい部分を見ることができるだろう。
みんな食べていかなくちゃあいけないんだ。わかるよ、その気持ち。


なるほど。
本日(記事発信9月11日)は選挙である。とは言っても、選挙がどうだと述べる
のではない。懇意にしている図書館併設の喫茶店のマスターが吹聴するに、
投票の一番乗りの者は投票箱の中身を見る権利が与えられるというのだそうだ。
不正がないかを一番乗りがチェックするということだ。
そこで思い出されるのが、年始恒例の兵庫県は西宮神社でのあの競争だ。
一番乗りの消防士に不正があったとか、その汚名を翌年返上したなどと騒がれた
が、各地の小学校でもこの一番乗りを目指すべく、正門前で場所取り合戦が展開
されているのかとマスターに尋ねてみた。すると、マスターの友人が一番乗りの
権利を手に入れるため、朝7時投票開始のところを2時間早い5時に指定の小学校
へ行ったそうだ。すると1人だけ並んでいた。神社ほど盛んではないが、案外いるのだ。
7時に開門した。そしてダッシュを試みた。しかしその友人は負けたそうだ。
2分の1の確率だ。まったくどうしようもない。
聞いた話なので投票箱を見る権利があるかどうかの100%の自信はないが、
興味があるなら、一度やっていただきたい。だから早めに更新しておこう。
夜中の0時で予約しておこう。


ほー。
当ブログの片隅にしつこく表示していた書籍があった。
「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」である。
この本がどうやらミリオンセラー、つまり100万部を発行するまでの売れ行き
という知らせが飛び込んできた。著者の山田 真哉氏は最近
図解 山田真哉の 結構使える! つまみ食い「新会社法」

も出版され、初心者に簡単でかつ面白く学んでもらおう、理解してもらおうという
姿勢が感じ取れる。ミリオンセラーの「さおだけ屋」もタイトルからして一瞬
怯むが、平積みされているなら手にとりたくなる1冊だった。3月22日に自分も
感想を書いていた。今読むと恥ずかしいことこの上ないが、リンクをつけておこう。

takam16の感想




粘りに粘る!?
日常生活においては柔軟性に欠けることが自分の短所だと思っているが、ブログに
おいても必死でしがみついていることが1つある。
始めて11ヶ月目をむかえたのであるが、タイトルは決して変更しないぞと頑固ぶり
を存分に発揮している自分がここにいる。

本と本屋と図書館に魅せられて

はある意味検索システムにおいて、反則技だと毒気づく輩もいれば
本と本屋と図書館に魅せられてないじゃないかと悪評も耳にする。
個人的にも、心機一転、タイトル変更なども思案したこともあったのだが、
そんなことを悩んでいてもしょうがないと思いながら今日に至る。
しかし、ランダムに自分の記事を読むと、

「これは本と本屋と図書館に犯されてだな。」

とニヤリとした。やっぱり同じタイトルでいこう。




さて、正直この密室にも嫌気がさした。左側の紙をと。

「!!!」

紙がない。あ~、どうしよう。



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の予約開始!! 発売日は11月16日の予定です。 

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第42回文藝賞は以下の2作品決定いたしました。
「窓の灯」 青山七恵さん
「平成マシンガンズ」 三並夏さん

 →文藝賞受賞作品は芥川賞候補作に選ばれる道のひとつです。

  
 
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です。バーチャルですが......

でかかった日本


原チャリは大変おトクな乗り物だ。異常なほどの渋滞も日々悩まされて
いるであろう大阪人。朝晩車を使おうものなら、この出来事への憤りは
隠せない。だからこその原チャリである。

遅い。それは確かだ。国道で80キロがお決まりの車達には敵わない。
ところが信号がその穴を見事に埋めてくれる。路肩というわずかな隙間を
ついて、何十台とごぼう抜きした時の快感。それを不満そうに睨みつける
車のドライバー達の高揚ぶりにまたまた快感である。

安いのも魅力のひとつだ。それは車体が安いことよりも維持費にある。
年1000円の税金はトクした気分だ。自賠責など高いのもあるが、
いままでの走行距離を考えると十分採算がとれている。

原チャリの免許は16歳の誕生日を迎えるや、真っ先に取りに教習所へ行った。
1日で取れる免許などそうはない。家に帰ると今度は原チャリ購入の段取を
整える。こちらは登録等があり、当日というわけにはいかないが、まあいい。

ブツが手に入り、待望の運転となるわけだが、高校時代は好奇心旺盛だ。
ちょっと遠出もしたくなる。中には北海道1周などとそんな誇大妄想なと思いきや
実際に福井県の敦賀から出港している新日本海フェリーに原チャリを北海道の
小樽まで載せ、楽しんだ悪友もいた。当然スピード違反で捕まったことはいうまで
もない。ざまあ見ろだ、この野郎。

そのような大胆なことはできなかったが、琵琶湖1周や大阪ー名古屋往復の旅など
はした。しばらく腰痛に悩まされたのは言うまでもないことだった。

しかし、自分の経験や悪友の北海道旅行も「原チャリ界」では遠出の部類だろうと
のほほんと構えていたのだが、ある本を読んでいたところ、原チャリの旅から
アジアの旅へと発展したという前書きを読んで「ぎゃふん」と発してしまった。
発したことがまことにお恥ずかしい限りだ。

その本の著者の根底にあったのは、
自分が生まれ育った国である「日本」を知らないという思い
という。確かにそうだ。自分は外国人を1人雇っているのだが、(英語の個人レッスンです。)
相手の日本のことへの質問にうまく答えられない歯がゆさがある。それは英語がうまく
しゃべれないというよりは、作法や習慣、文化や宗教についての知識に不足があるという
ことへの歯がゆさだ。

著者は先述の理由から日本を知る旅を始めた。それが原チャリによる日本旅である。
「ぎゃふん」というのは、旅の延長のつもりで原チャリを船に載せてロシアのサハリン
を訪れたのを機にアジアを旅することになり、ついに本まで出したということだ。
それがこちら。
西牟田 靖
僕の見た「大日本帝国」―教わらなかった歴史と出会う旅
著者は1970年生まれというから、30代だ。 そして本のタイトルからわかるとおり、「大日本帝国」、それは戦前、戦中の 日本のことを指す。つまり、戦争を知らない世代である著者が戦前、戦中の 「大日本帝国」時代を見つける旅を綴ったのが本書ということである。 彼は訪問地として ・サハリン(ロシア) ・台湾 ・韓国 ・北朝鮮 ・中国東北部(旧満洲) ・サイパン(アメリカ) を旅している。これらはすべて一時期日本の領土、あるいは統治していた場所 である。そこでさまざまな「日本の発見」、明確には「日本の残像」を見つけ、 それらを地域ごとに語っている。 中国東北部を除くと、日本語を話す人がけっこういることは興味深い。 それらは当時、日本領だということでそこに移り住んだ者、または日本統治時代に 日本語教育を受けた人々であり、「日本の残像」というのは、日本の敗戦の時点で 有形無形のあらゆるものが停止してしまったということである。 神社の存在も見逃せない。 大日本帝国時代には各地に神社が建てられた。その役割は、戦争へと国民をまとめる ための国民意識の統一、天皇崇拝のための道具としての役割だという。 それが敗戦により、各地域でいっせいに取り壊された。興味深いのは、地域によって 「日本の残像」の性質が違うということである。 例えば台湾では破壊を免れた神社がいくつかある一方で取り壊された神社もある。 蒋介石の国民党が毛沢東の共産党に破れ、自分達の中国を建設するために台湾にやって きた時にその取り壊しが行われている。大日本帝国は日中戦争時代の敵である。 壊すのが自然の成り行きだろう。しかし、大陸からやって来た国民党政府を不満に 思う当地の住民がかなりいたことも確かである。それが「日本の残像」として 今存在し、日本は色濃く残っている。 一方、中国、韓国は敗戦と同時にほぼすべてが破壊されたようだ。 しかし神社とは違うものの、当時の日本の建造物を残した博物館があるのだが、 それは日本が中国や韓国を侵略した証拠として残しているという趣旨だそうだ。 これも「日本の残像」である。 ミーハーだと言われそうだが、北朝鮮訪問の話も期待した。 しかし、お国柄、さすがの冒険好きの著者も行動を制限され、モレなく2人の 案内人を付けられ、お決まりの観光地を巡らされたと述べていた。 この記事で最も興味深かったのは、案内人との会話の一幕。 著者が男性用避妊具をプレゼントしたところ 「ワタクシ、妻とイタますとき、こういうものは使いません。」 と言われ、さらに男女はどこでするのかと尋ねると 「そんなのはどこでもできるのですよ。」 と返したのを面白く読んだ。ありがとう。 サイパン島の南西にテニアン島という島がある。そこにある2つの原爆を搭載した ピット(地下室)跡の写真は、短い記述だったがなんとも言えない気分だった。 ATOMIC BOMB PIT NO1 広島 ATOMIC BOMB PIT NO2 長崎 ここで原子爆弾は保管されていたということである。 前にも述べたが著者は1970年生まれ。よって戦争のことなどなにも知らないため、 当時については図書館等で調査をしながらの本書であり、よって、 ~らしい。~という。~だそうだ。 という表現が至るところに登場する。また、最後に結論は出せないとしている。 僕はそれでいいと思う。戦後25年経って生まれた人が、当時のことがわからない のは当たり前である。当時を知る人間でも歴史認識の問題は議論の的となっており、 収拾がつかない状態に感じる。 著者の思想は、戦後教育の「侵略」が原点となっている。 思想の旅もそこから始まっている。そこにアジアの諸地域を訪問し、現実に戸惑う 著者がいる。そして、おそらくのちに調べたであろう当時の情報がある。 知識としての「日本」。 目で見て耳で聞いた「日本」。 調べた「日本」。 そのバランスが個人的には好きである。 さて、本書をどこで知ったかという話になるが、王道路線といわれる 書店で知ったのではない。ホームページにアクセスしたのでもない。 本書は、週刊ブックレビューの名物コーナー、3人の書評家ゲストによる 「おすすめの1冊」のコーナーでジャーナリストの武田徹さんが紹介した ものである。そして同じく本書を読んだ作家の吉川潮さんが、 「著者の次の作品への活動資金として、ぜひ買ってほしい。」 と言った。自分はそれに乗せられた。よって、 「借りたい」以上「買いたい」以上 というわけだ。それが証拠に、すでに古本屋に売れないぐらいに傷んでいる。 ☆★☆★☆★ 予定・情報・☆★☆★☆★ 10月より日テレ系土曜夜9時にて白岩玄さん原作の 「野ブタ。をプロデュース」 がドラマ化されます。 主演...山下智久、亀梨和也 ------------------------------------------------ 10月からの新ドラマフジ系列火曜夜10時「鬼嫁日記」の参考本はこちら ------------------------------------------------ 9月10日公開映画「銀河ヒッチハイク・ガイド」の原作本はこちら ------------------------------------------------ 2007年度のNHK大河ドラマは「風林火山」に決定。原作本はこちら (来年度は「功名が辻」。原作本はこちら )
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石原慎太郎はいつになったら芥川賞受賞作を誉めるのか


いつもおかんむりである。
つまらない質問には一喝する。
そして質問者はビビる。

テレビでよく拝見する石原慎太郎東京都知事の僕の昨今の印象である。
否定的な印象ばかりを並べてしまい恐縮なので、
好印象な部分も述べておこう。

物事ははっきり言う。


なかなか物事を遠まわしにぼかす多勢とは違う。バサリと斬って、
気持ちいい。

ああ、政治家として活躍しているのだなぁと田原総一郎氏との討論などを
見ていると第一に感じるのだが、ふと彼は作家だったのだと思い出させて
くれることがある。
その象徴的なものが、芥川賞選考委員としての彼の選評記事である。

芥川賞の発表は、年2回雑誌「文藝春秋」の3月号、9月号に掲載される。
受賞作品とその著者の感想、そして現在9名の手厳しい選考委員
による選評記事がある。
ちなみに直木賞に関しては雑誌「オール読物」の3、9月号が詳しい。

現在の海千山千かつ多士済々の選考委員達を紹介する。

黒井千次
石原慎太郎
山田詠美
村上龍
河野多恵子
宮本輝
池澤夏樹
高樹のぶ子
三浦哲郎

選考委員は辞退や死がなければ、生涯選考委員である。

彼らはいつも築地の「新喜楽」で約2時間の協議をするそうなのだが、
はたして「新喜楽」の文字通りの話し合いが行われているかは
はなはだ疑問である。おそらく、ツバが相手の頬に飛ぶほどの活発な
意見交換が行われていることは選評から想像がつく。

さて、再び石原慎太郎氏である。メディアへの顔見せも多く、個性も溢れて
いるため、彼の選評は他の方より個人的に興味がある。
最近の記憶では彼はどの受賞作もどの候補作も誉めたためしがない。
というわけで大学図書館へ出向き、ちょっくら調査した。

「石原慎太郎はいつになったら芥川賞受賞作を誉めるのか。」


つい最近の芥川賞での選評はこうだった。
今回の候補作の水準は総じて高いものだとは言えそうにない。第一
それぞれの作品の題名からして安易で、語るに落ちるといったものが
多かった。

キビシ~。ちなみに今受賞作は 「土の中の子供」の中村文則氏だったが、
以前石原氏は2003年3月の中村氏の候補作「銃」について

候補作の中で唯一、中村文則氏の「銃」を最後まで面白く読んだ。
恐らくこれからの作品でも発揮され、作家としての存在感を示すように
なるに違いない

きっぱり断言した。彼の得意技だ。その力量が落ちたというのが本作か。
というのも、石原氏は作品としての魅力に作家としての成長を交えた評価を
する傾向がある。過去の候補作との比較も逃さない。
ここでは誉めはした。しかし受賞作への評価はやはり辛かった。

結果として受賞とはなった「しょっぱいドライブ」なる作品には、少なくとも
私は何の感動も衝撃も感じなかった。

前回(2005年3月)の受賞作「グランド・フィナーレ」の選評はこうだ。

私は全く評価できなかった。

モブノリオの「介護入門」でも

私は全く評価しなかった
だ。全体評も
今日の選考は猛暑の故の夏枯れとしかいいようがなかった

おほほほ。そういやどうした、モブは?

話題をふりまいた綿矢&金原作品については特に、「虹にピアス」について

私には現代の若者のピアスや入れ墨といった肉体に付着する装飾への執着の
意味合いが本質的に理解できない


石原氏は今、未来の日本を懸念している。そして、文学に対してはその懸念が
ますます増幅しているようだ。よって、その未来を担う若者にどうも合点がいかない。
そして、文学作品に関して常々語っていることは
情報がはびこっている、そして大きくなった現代社会の中で作品を生み出すこと
は不可能であるようなことを述べている。
情報が作品に必要な想像力を奪うということだ。
そして同時に若者への偏見、そして現代社会への偏見が感じ取れる。

石原慎太郎氏も含め、選考基準として重要視しているのは、当時の社会環境・社会情勢に
文学作品を照らし合わせ、著者がそれらをどう文学として表現するかということを
選評においてしばしば論じている。

今まで紹介した芥川賞選評の全文を実際に読むと、石原氏はそれらが見られないことに
おかんむりなのである。

ところが、ついに、誉めるに値する受賞作に遭遇したのが

吉村萬壱さんの「ハリガネムシ」である。

多くの国民がデフレとはいえなんとなく満ち足りた錯覚の内にある時代に、
逆に妙なリアリティがあり、読む者を辟易させながら引きずっていく重い力がある。

やっと出会えたお褒めの言葉。2003年9月度の芥川賞だが、社会情勢と文学を
照らし合わせた選評が良い方向に出たのがこれである。

石原氏が芥川賞選考委員に選ばれたのは1996年3月度(114回)からである。
現在まで欠席なくすべて出席し、選評している。
当時の選評から、文学の衰退を憂え続けながら今日に至るのだが、最初の数年間は
芥川賞受賞作に対し期待を込めた前向きな選評が多かったことは興味深い。

褒めた受賞作品・作家を列挙すると 
・「豚の報い」 又吉 栄喜 (114回)
・「海峡の光」 辻仁成 (116回)
・「ゲルマニウムの夜」   花村萬月   (119回)
・「きれぎれ」   町田康   (123回)
・「聖水」   青来有一   (124回)
・「中陰の花」   玄侑宗久   (125回)  

逆に否定した受賞作品・作家。こちらは石原節も挙げる。
・「虹を踏む」 川上弘美 (115回)
  私には全く評価出来ない。.....こんな代物が歴史ある文学賞を受けてしまう
  ところにも、今日の日本文学の衰弱がうかがえるとしかいいようがない。

・「日蝕」   平野啓一郎   (120回)
  たいそうな前評判であったが私はこの作品にいろいろ基本的な疑義を感じぬわけ
  にはいかない......この現代に、小説を読むのにいちいち漢和辞典を引いて
  読まなくてはならぬというのは文学の鑑賞と本質屁隔たった事態といわざるを得まい。

・「 猛スピードで母は」   長嶋有    (126回)   
  こんな程度の作品を読んで誰がどう心を動かされるというのだろうか。 


そんな石原氏も、かつては昭和30年に「太陽の季節」で芥川賞を受賞している。
文藝春秋で当時の記念写真を確認したのだが、そこには石原氏のほかに2人の
受賞者が写っていた。直木賞を受賞した新田次郎氏、邱永漢氏の大御所と一緒に
写っている石原氏は足を広げ、記念品を片手で持つという態度で、本人がそれについて
芥川賞の重みがよくわからなかったとコメントしているのは非常に興味深かった。


過去の芥川賞選考委員のコメントをすべて拝見するのはあまりにも膨大な時間がかかり
不可能ではあるが、ちょっとした発見もあった。縁起が悪いのかもしれないが、
前述したように芥川賞選考委員は生涯選考委員だと言った。
その出席・欠席状況をチェックしたのだが、
委員を引退するとき、あるいは死が近い選考委員は直前の選考を欠席したり、または
書面回答の確率が非常に高いことに気づく。
選考委員は高齢者が多い。
ここだけの話だが、少し気になった。 

 

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  大人買い 



管理人は2年ほど前は書店で朝から晩までしこたま働いておりました。
日曜・祝日、お盆に正月ははっきりいって出勤。
小売・サービス業なら普通だろうと割り切りはするものの、
TVで海外脱出のニュースを見るとやはりうらやましく感じました。
当然休みが平日になるのですが、人の少ない平日の観光地に遊びに行く
のも意外に違和感のある風景で楽しいものだなぁと。

現在もそうなのですが、地方へ遊びに行ったりするとつい地元の小さな
書店を見つけては棚をなめるようにチェックしたものです。
ご当地ならではのフェアなどないものか、そのフェアを方言でアピール
してやしないかなどなど。

自分の地域は関西でしたので

「めっちゃ~」
「やっぱ好きやねん。」

をフェアごとに使いまくり、それを見かねた上層部から

「こらっ!!」

としかとされれば

「へい。」

と答えるしかない有様。

お偉い方はわからんのですよ、と心の中でぼやきながら、
しぶしぶフェアタイトルの変更をさせたものです。(←させた?、おい!)



話はころっと変わりますが、
スーパーのようにキャベツやれトマトやれ卵やれ牛乳やれ紙おむつやれ
たらふくカゴの中をいっぱいにして子供時代の注射の痕が付いた太い腕を
見せつけながらレジに並ぶおばさま方を見ると、

「太い腕だがうらやましい限りだ。」

と書店員は思うわけです。書店のレジに入っていると、来る客来る客
1冊、2冊しか持ってきてくれない....

それじゃあ売上があがらんのです、もっともっとと視線をギラつかせるのですが、
みんな、週刊文春1冊、文庫1冊、フライデー1冊.....

売上を左右するものは客数か客単価。どちらもかんばしくない昨今、駅前の大型
書店に出くわす風景、そう、あの輩がウチにはないなぁと店員間でささやいて
おりました。

大人買い。

定められた紙袋では手に負えず、手提袋を出さざるを得ないあの嬉しい衝撃。
それを味わいたいねぇ、でも無理だ、ウチじゃあと、店長もあきらめ顔。
手提袋、ちゃんと発注したのだけれど、いつになったら使うのかねぇと
時間の経過とともに埃まみれになる手提袋を布で拭く始末。

大人買い。ウチの店では夢物語だねぇと苦笑しながら過ごしていたある日、
やってきました、ついにこの日が。

白髪交じりのボサボサ頭。黒ぶちメガネに湿った唇。しかしビシッとスーツで
決め込む、どこをアピールしたいのかがさっぱり予測できないこの中年男性が、
ついに念願の大人買いを決行。

時間は夜の11時。10時にアルバイトが2名退社。自分と残ったアルバイト2人
の合計2名。店長は毎度お馴染みの殿様帰宅(午後5時半に退社。おい!)。

アルバイトに尾行を命じ、自分はレジで「戦況」を見守る。
アルバイトから情報が逐一入る。

「コミック文庫で大人買いです。や、やりました、ドカベンです。」
「ミステリーコーナーに潜伏。宮部みゆき作品の前で腕組みをしています。」

ド、ドカベンの大人買いといえば、全31巻。1冊590円(当時は税抜表示)
が31冊ということは、19000円を超えるお買い上げじゃないか!

三度伝令が入る。
「宮部作品10冊はありますよ。」

まさに薔薇色です。夜中に働いてよかったとすっかり開放感に浸りました。

そしてついにご本人がレジの前へ。我が店には不親切にもカゴを用意していないので
アルバイトが大人買いをしっかりフォロー。自分と目配せをする。いい仕事ぶりだよ。

ところが、大人買いというものは、書店側にとっては大量購入をしてくれた方に
対するある種の造語。購入者の知能レベルまでが大人かどうかは眼中にありません。

お客
「これ、どっちが安くなるかやってみて。」

う、ううっ、そう来たか.....

当時は本体価格で表示されていた書籍類。バーコードに1冊ずつ通して本体価格の合計額
を算出した後に、レジの「税ボタン」を押して最終的な支払額が表示されるのがこの店の
システム。
「どっちが安くなるか」というのは、1冊ごとに「税ボタン」を押して支払額を算出し、
それを残りの本にも同じようにして、最後にそれらを合計してくれという意味。

理由は簡単。場合によっては支払う金額が大きく変わるのです。
例えばドカベン全31巻を税抜き価格それぞれ590円だとします。

先に税抜き価格を合計して、最後に「税ボタン」を押すと
590円 × 31冊 × 1.05 =19205円

一方、1冊ずつ「税ボタン」を押して31冊分を合計した額は
590円 × 1冊 × 1.05 × 31冊 = 18910円

実に後者の方が295円も安く購入できるのです。

真の大人買いとはこれだったのか...と戸惑う我々。しかし、レジは両方を
試すために大混乱。なんとか結果が出て

「18910円です。」(実際には宮部作品の数十冊もあります。ここでは省略)
と言うと、お客がさらなる大人ぶりを発揮。

「それら全部カバー掛けて。」

あー、口から泡が、泡が出てきそうだ.....31冊 + 宮部作品数十冊......

今なら、例えば「ブラジャケ」など、広告付きの鮮やかなデザインで定評の
ブックカバーを別に設置して、..ご自由にお取り下さい.. などもありなのでしょうが、
当時はそうじゃなかった....
というわけで2人でせっせとのら仕事、いや、カバー掛け。40冊を超えるカバー設置は
思いのほか視野を狭くさせるのです。つまり、カバーに全力投球のため、
まわりが見えなくなります。

ちょうど、このレジでの応対中、こんな夜遅くに上層部が店舗チェックに来店。
招かれざる男の登場に普段は店内に緊張が走るのですが、こちらはそれどころでは
ありません。

「おい、ちょっとこっちへ。」

その声にようやく気づいた自分は、揉み手をしながら上層部のもとへ。

「へい、なんでございましょう。」

上層部
「棚がスカスカやないかっ!!どんな在庫管理しとるんや!!」

姉さん、事件です。

その場所は本来ドカベン全31巻のあった棚。当然大人買いのお客が買った
のですから棚はスカスカ。
どの店舗業界もそうなのかは存じ上げませんが、
空いた棚は厳禁です。すぐに別の本で空いた棚を見えなくするか、ストック
があるなら補充しておく手段を講じねばなりません。

「薄毛、いや、薄棚は隠せ!!」
とのことです。

後日、店長は会議で上層部に薄棚の件でガミガミ言われたそうです。


大人買い......  あまり大人すぎるのもいかがなものかと。

 
 

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谷崎潤一郎賞は
町田康さんの「告白」
に決定しております。
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10月より日テレ系土曜夜9時にて白岩玄さん原作の
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主演...山下智久、亀梨和也
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  「なんだ、誰も借りてないじゃないか。」


大学図書館の棚を舌なめずりしながらニヤリと微笑む自分がいる。
大学キャンパスの8月は、茶髪も金髪も、そしてお色気すらお目にかかれない。
いや、のんびりモード全快の図書館員達がなんとお色気モードである。
なんだかスカートの丈が短い。生徒ゼロで開放的なのか、ううむ。

ニヤリというのは他でもない。
ちまたで人気絶頂の本たちが借り手がいないらしく、借りてくれぃと
フェロモンをかもし出している。
図書館員のフェロモンなど鼻息で吹き飛ばしてしまえ。ここは図書館だ。控えぃ!


「ダ・ヴィンチコード」
「花まんま」
「サウスバウンド」
「魂萌え!」

公共図書館では大活躍のこれらの人気作が
大学図書館ではいつでも借りれる準備が整っているのである。
こいつは使わないわけにはいかないと思うのも無理はない。

一部の大学図書館は学外の利用者に利用を許し、毎月統計をとっている
ところもあるようだが、大々的に利用の勧めはしていない。
こちらから見れば秘密裏に事が進められているように感じる。

あ行......か行....と来て、人差し指にブレーキがかかる。

川上弘美  「古道具 中野商店」

川上弘美....。まだ読んだ経験はないなぁ。恋愛モノを得意としている
著者の作品.....。どうも他人の色恋話にtakam16は非常にノリが悪い。
しかし、ちょっと待てと思った。

女性読者の心をわしづかみにすることで有名な角田光代さんが朝日新聞で

そこで繰り広げられる会話が面白い。Aという話題を持ち出したのに、それが
BへCへとずれて、核心がいつのまにか見えなくなっている


と書評しているのをチェックしていたために、ここは角田の誘いに乗ってみるかと
背表紙置きされた本書を指で強引に引き抜いた。そうだ。強引にだ。
本棚にあまり本を詰めて並べるのはよろしくない。

「そんなに本をぎゅうぎゅう詰めにしちゃあダメだ!」

と口では言えないので、同じ言葉を紙に書いて意見箱に入れてやった。見てくれた
図書館員の人、それは僕が書きましたので、心当たりのある方はこちらまでコメントを。

さて、角田さんが会話の展開力をクローズアップするものだから、それを基に読むのだが、
興味は別のところにあった。
「古道具 中野商店」は、12話からなる物語なのだが、各々関連性のある話も
あれば、単独で成り立つ話もある。初出は文芸誌「新潮」で、この物語は毎月連載されるものでは
なく、2ヶ月の間隔から長ければ1年のものまである。
それらを集約したのが「古道具 中野商店」だ。

こういう1話が15分程度で読み終える長さなら、寝る前の「快眠前読書」に適すると
考え、失礼だが睡眠薬代わりに読ませてもらった。キリのいいところで本を閉じるきっかけ
があるからだ。長篇とはそこが違う。オホン。
ところがそうは問屋がおろさないのが「古道具 中野商店」である。

なんといっても、各話の書き出しを読むと、
「なんだ、この思わせぶりな一行目は!」

とつい口に出してしまう。

例えばだ。
「第一話 角形2号」とある。その書き出しは

だからさあ、というのが中野さんの口癖である。......

「第三話 ペーパーナイフ」の書き出しは

チ、と短い音がする。

「第六話 ミシン」はというと

松田聖子が出たんだけどさあ。

という具合であれば、ビビビと来るのは当然だ。
次が気になって仕方がない。

小説すばるの編集長山田裕樹氏が
「最初の1行は2行目以降を読ませるものでなければならない。」

と雑誌某で語っていたのをメモにして取って置いたのだが、まさに
この言葉が川上弘美の「古道具 中野商店」に当てはまる。


物語の筋はさほど困難なものではない。ひとつの古道具屋がある。店の
名は「中野商店」。店主はもちろん中野さん。そして視点はその中野商店
でアルバイトとして働く「わたし」であり、中野商店、そして中野さん
を中心に物語られる。中野さんのクセや特徴を面白おかしく描き、
訪れるお客を詳細に語り、仲間のことを鮮明に述べている。
もちろんちょっとだけ恋愛もある。川上弘美だ。角田光代も書評するのだ。
ナニがないのも妙だ。だが、それも中野商店を取り巻く出来事の1シーンに過ぎない。
視点は「わたし」でも、主人公は中野商店と中野さん。
だから最後まで楽しめたような気がする。

非常に真面目路線で勝負するのかと思っていた本書。
書き出しの狙いもそうだが、文中の講釈は頭に絵を描きやすい。
「わたし」は少し感受性の強い人間にも感じ、過去の人の会話や風景を
思い出すところが多々あるのは百歩譲って違和感を感じたが、それも川上作品なの
だろうと「川上初体験」の僕は感じたのであった。 


「書き出し」はブログにおいても大切なものだろう。いや、特に短い話が中心の
ブログならなおのことだ。タイトルも大事だが書き出しも大事。
わかっていることだが、それは難しい注文である。もう寝よう。次に読む本は
これだ。ふふふ。


 
川上 弘美
古道具 中野商店
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takam16の本の棚
です。バーチャルですが......


  
おばあ、登場!!



隣町には僕のおばあが住んでいる。しかし
おばあが住んでいるとはいうものの、ひとり暮らしではない。
長男夫婦とその子供達との同居である。

生まれてこのかた、病気らしい病気もなく、細いながらも
元気ハツラツなのだ。大変結構なことである。あるのだ。あるのだが...


実は3年ほど前から物忘れが目立つようになり、それが進行してきて
現在に至る。
御歳86歳。森光子より1歳年上だが、でんぐり返りなどするわけがない。
したら寿命が一気に縮まる。でんぐり返りは若手でも体を壊すおそれがある。
なんだかんだでおばあに会いに行く機会を先送りしてきたため、約2年も
ご無沙汰だというわけだ。

先日、おばあの妹が様子見がてら、会いに行った。すると
「あんた、誰?」

と言われる始末だったそうだ。

次は、我が母上が会いに行った。
「わざわざ来ていただいてありがとうごぜぇます。」

と言われ、ショックを受けたらしい。

そこで出番がこちらに回ってきた。
とりあえず孫だ。しかし2年だ。このブランクをどう捉えるか。

「あんた、誰?」
ではあまりにもキツいし、
他人行儀も困り者だ。

てなわけで、いろいろ小道具を用意しておばあに会いに行ったのが
先週というわけだ。

・まずはおばあと一緒に写っている子供時代の写真を数枚用意した。
・次に名札をつけた。胸ポケットに「takam16」と黒マジックで書いた
 厚紙をピンで止めた。
・会話のやりとりがうまくいかない。耳が遠いのだ。よってホワイトボード
 を用意した。100円ショップで売っている専用ペンはすぐインクがなくなる。
 よってちょっと贅沢なペンを購入した。

いざ、出陣!!

ガラガラガラッ~。僕が窓を開ける。昔から正面玄関から入らないクセが僕には
ある。クセ者だ。
おっと、いきなりおばあがイスに座ってのほほ~んとしている。嫌な予感だ。
沈黙すること約5秒。
ところが次の一言は想定していなかった。


「あら、takam16ちゃん。元気やった? お茶でも飲むか。」

おい。百聞は一見にしかずとはこういうのをいうのか。
以前から母上は大げさに物事を発するクセがある。
例えば、夕方から雨が降るという予報なのに

「夕方からどしゃぶりになるで。帰ってこられへんかもしれへんで。」
といった具合にだ。

大げさな物言いを真に受けたものだから、認識すらされないものと思い込み、
前日に先述の備えをしたのだ。備えあれば憂えなしとは言うが、誇張した
表現で人を信じ込ませるのは、まるで振り込めサギの輩の手口だ。


とは言え、痴呆が嘘というわけではない。
1分前にした行為をもう忘れたりする。
例えば、洗濯物を取り込んだ後、1分後に、

「洗濯物取り込まなあかん。」

といって再び外に出て戻ると、また数分経つと

「洗濯物取り込んだかな。」

と言い出す。軽い痴呆とは具体的にはこういうことである。

しかし興味深いことは、痴呆でない状態のことならピンからキリ
まで覚えているということだ。難読漢字や活字にも強い。
歴史や建築への造詣はかなり深く、おばあ以上の人にお目にかかった
記憶はない。ブログでたまにお見かけする程度だ。

よって、DVDや、携帯某や、パソコンやという新型には対応不可能だ。
ゴミ置き場や食器の場所を勝手に変えるのも危険だ。
場所が変わると以前の場所にあることを体が覚えている。よって
そのまま捨てるし、食器は言われるまで探している。
とにかく新しいことを覚えるのは無理である。


財団法人 ぼけ予防協会 というのがあり、ホームページも用意されている。
こちらをクリック

以下は当該サイトに記載の「ぼけ介護10か条」である。

 1.【コミュニケーション】語らせて微笑みうなずきなじみ感
 2.【食事】工夫してゆっくり食べさせ満足感
 3.【排泄】排泄は早めに声かけトイレット
 4.【入浴】機嫌みて誘うお風呂でさっぱりと
 5.【身だしなみ】身だしなみ忘れぬ気配り張り生まれ
 6.【活動】できること見つけて活かす生きがい作り
 7.【睡眠】日中を楽しく過ごさせ夜安眠
 8.【精神症状】妄想は話を合わせて安心感
 9.【問題行動】叱らずに受け止め防ぐ問題行動
10.【自尊心】自尊心支える介護で生き生きと


おそらくボケてきた原因は、コミュニケーション不足によるところが
大きいだろう。おばあの住む一家はおばあと会話をしようとしない。
皆、仕事を持っており、おばあが独りの時間がけっこうあった。
さらに、おばあの子供、つまり長男がおばあの衰えに嫌気をさし、
相手をしなくなっていた。母上がおばあのことで大げさになるのは
母上の性格以上に血のつながりの近さにあるのだろう。


とにもかくにも、そういうおばあに孫がしてやれることとして、
次回会いに行くために昭和時代の写真付き図鑑を図書館で借りてきた。
図書館はこういう時に抜群の力を発揮する。
事情を説明すればそれなりの書籍を用意してくれる。
司書殿に感謝する。ブログで感謝などせずに、実際に感謝しろだ。だまらっしゃい!


それが

決定版 昭和史 (昭和31-38年)
決定版 昭和史 (昭和39-45年)

の2冊だ。

昭和34年は現天皇陛下のご成婚。冒頭からいい写真だ。おばあのツボだ。
ミスターこと、長嶋茂雄の写真もてんこ盛りだ。いい薬になる。ちなみに
おばあは阪神ファンだ。拒絶反応だけはやめてもらいたい。
昭和39年の東京オリンピックの写真は刺激的だ。おばあ、41歳の時の
大イベントだ。

他にももう少し詳しく読んでみる。
昭和42年、ミニスカート大流行!!
ブーッ。失礼、鼻血が勢いよく飛び出てしまった。のりまき千兵衛だな。(Dr.スランプより)
三島由紀夫の割腹自殺直前の演説写真もある。ちょっと刺激がきつくないか、おばあには。
夢の島でハエが大量発生。住民に襲いかかる。なんじゃこりゃ。


この時代を生きていない自分としては懐かしさや思い出という類のものは
感じないが、古い写真を見るのは子供の頃から非常に好きである。
おばあのためにと思って借りたはずなのだが、結局は自分の興味の押し付けの
ような気もするが、まあいいだろう。


今ではパソコンでどうにでもなる写真。便利になるのは大変ありがたいことなのだが、
昔のシロクロ写真の連続に、そんな時代もあったものだと感じるのは
おばあだけではないだろう。
 

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どこでどう過ごす!?




2年連続3度目である。

一度言ってみたかった。もう一度言おう。




2年連続3度目である。


これは、管理人が自宅で過去にクーラーを使用しないデータである。
つまり、ただいま2年連続NOクーラーで過ごしているのである。
よって、汗びっしょりでブログを更新しているわけであり、
読者様からは

「最近のtakam16さんのブログ、ちょっと汗臭いですね。」

とお言葉を頂戴してしまえば、否定も反論もできない。

あいすみません。


そうなると、クーラーのある場所を探し求める必要に迫られるのは、
なんともずるい一面でもある。クーラーなしで過ごすと言いながら、結局は
よそ様の冷風を拝借するという算段だ。タチが悪い。


もう済んだことを言うのもなんだが、
8月6日は広島に原爆が落とされた日として今後も語り継がれるの
であろうが、同時にこの日は

「日本経済新聞のNIKKEIプラス1」

が朝刊と同時に配達された。土曜日の日経の名物である。その一面

「暑さからの避難場所 ~ お金のかからない方法」

はどうもこのブログに馬が合う記事であった。

ランキング10位中5位までを紹介しよう。
1位 百貨店
2位 図書館
3位 書店・古書店
4位 コンビニ
5位 家電量販店


5位の気持ちはよくわかる。家電オタク、デジタルマニアは買いも
しないのに品定めをするのが得意である。
4位は経験がない。コンビニは、売れ筋のみを置く場所と化している。
つまらないが、あえて言葉を送るなら、クーラーの効き目はピカ一だ。
1位の百貨店は残念ながらあまり縁がない。デパ地下がどんな風景
だったか忘れた。

さて、2位と3位である。
3位は書店・古書店ときた。
このデータで思い出したのが、書店時代に「購入率」というやつを
調査した記憶がある。つまり来店者のうち、何名が本を買ったかという
確率である。
結果は85%。これを上層部達が

「すごい数字じゃないか!」

と誉めるのだが、それはないだろ!と心でつっこんだ。管理人は気が弱いのだ。

気にくわないのは、我が書店のお客の目的は本を買うことのみなのだ。
ちなみに我が書店はテナントビルの一部に含まれるものではない。
単体でやっている本専門のお店だ。
それでいいじゃないかと言う者は言うのだが、それは不愉快だ。
つまり、お客側としては買う本がすでに決まっており、一目散にレジへ直行して
いるのである。そこには我が店舗の陳列法や商品構成に
「つまらん。」
と烙印を押されたようなものだ。
個人的には、立ち読み・座り読みはもちろんのこと、できることなら書店を
ぜひ待ちあわせ場所にして、おしゃべりの場としてもとことん使ってもらいたい
と考えていたのだが、上層部が、

「在庫と売上は比例するぞ!」

と古い慣わしを振りかざして息巻くものだから、お給料を貰っているものとしては

「へぃ。」

と言うしかない。だから狭い店舗に本をたっぷり置き、ビッグ書店の在庫に肩を
並べようなどとしたところで、意味はない。限りがあるのだ。
85%という購入率はそういう理由で好きではないということだ。

その点、新古書店の買わない方も大歓迎というのは、それがタテマエであろうが、
気持ちのいいものだ。ハタキでパンパンされることもない。
そういえば、ハタキでパンパンする本屋に久々に遭いたいものだ。


業界低迷の中、3位に書店が入るのはいかがなものかと言うのも確かだが、
そういう商品だ。逆に順位に入らなければ、まさに死活問題だ。
1人でも多く、購入予備軍を作っておくのは当然である。

2位にはやはり図書館がきた。1位でも驚くことではないだろう。
なにしろ無料で本を借りることができるというのは、やはり魅せられる。
すると

出版社・作家 vs 図書館

という構図ができあがる。そして
書き手・作り手の権利と公共・平等が共存することは非常に
困難なことである。


「日本経済新聞のNIKKEIプラス1」
の特集は、対比として

「暑さからの避難場所 ~ お金のかかる方法」

もある。

1位 コーヒーショップ
2位 喫茶店
3位 ファーストフード店
4位 まんが喫茶・ネットカフェ
5位 ファミレス


この中で、図書館、書店とともに併設されやすいのが、
「コーヒーショップ、喫茶店」
であり、多くはないが、見かける光景である。
よその国では定番の風景のひとつだろう。

喫茶店・コーヒーショップ&書店の組み合わせは
書店側が一抹の不安を感じるらしい。飲み物による書籍の汚れ
に敏感ということだ。
しかし、飲食店と書店の組み合わせは、やはり相性が非常にいい
と思っている。喫茶店で読書をする人の姿はビジュアル的にも
うなずける。まんが喫茶にはワンドリンク制で名目上併設している
ように感じるが、やはりここで言う話ではない。

喫茶店・コーヒーショップ&図書館の組み合わせというのは、
具体的には館内としっかり区別されて適切ではないかもしれないが、
同じ喫茶店で読書という意味では抜群の相性である。
ただし、出店する喫茶店側に条件が出される。それはある程度安く
することだ。コーヒー1杯200円台前半が相場らしい。
もちろん場所代は他よりも安い。しかし、図書館に来る利用者は、
第一にお金をかけたくないことをモットーにしている。
車の駐車料金すら、おい! とちゃちゃを入れる。
よって図書館に出店したコーヒーショップや喫茶店は、採算がとれていないか、
あるいは社会奉仕でやっている。そして、いつでも閉店する準備を整えている
ようだ。さらに喫茶店があるにもかかわらず、自動販売機や冷水機が
ちゃっかり用意された時にゃ~、手も足も出ない。


それよりも、なによりも、これらの一連のお話は
秋になったら、そして冬が来たらどうなのだということだ。
それを思うと、ちょっぴりキーを打ちすぎた。


夏の疲れは夏のうちにとっておこう。
ブログにも支障をきたす。

今は宮部みゆきの「孤宿の人」をがつがつ読んでいる最中だ。
寝る前に読む本としては全くふさわしくない。
面白くて眠れない。


  
 

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takam16の本の棚
です。バーチャルですが......


 
 本屋の大小を問わず、お客との間でさまざまなやりとりが行われ、
それが相手に幸せを与える結果になったり、時には相手のものすごい
剣幕に怖気づくこともあり、いくつになってもいい社会勉強をさせて
いただくのであるが、場数を踏んでいくうちに質問への応対も
成長していくものである。
初期の段階でやっかいなことは、雑誌の発売日や書籍の場所の質問。
お客にとってはとんとんと答えが返ってくるのが普通だと思うのだが、
店員はこの質問をさらりとかわすには最低3ヶ月は必要だろう。
そして、ある一定期間が過ぎれば、毎日シフトに入っているなら中小書店
なら店舗面積が小さいため、即答が可能である。商品在庫のあるなしに
かかわらず、お客は必要のないストレスを溜めることはまあない。


入社して数ヶ月経ち、仕事に慣れると人間関係も慣れ始める。精神にゆとり
が出ると、アルバイトとの会話にも勢いが出る。

さて、いくらなんでもあの本については質問されないよなというような会話
のやりとりが過去にtakam16とアルバイトとの間で交わされたことがある。

当時は(今もそうかもしれないが)、集英社の週刊ジャンプ系コミックのパワー
が凄かった。
ワンピースにヒカルの碁、 NARUTOは発売日には何百冊と入荷した。

「ワンピース○巻ありますか、とかヒカルの碁○巻ありますかとかの質問は
 よくあるよなぁ。」

とアルバイトが言う。ちなみにtakam16は別に「ため」でしゃべられることを不快に
思わないし、別にそのようなことは気にしない。それはすべてにおいてである。
例えばブログで誰がトシだろうが興味はない。なんでもごじゃれだ。

ところが、二人の会話でこれはないだろうという話になった。

「ボボボーボ・ボーボボありますか? とは言わへんよなぁ。」
「さすがにそれはないやろ。」

 ボボボーボ・ボーボボ。ジャンプ系の集英社コミックのひとつだ。
言いにくいやら、どこで傍線を使っていいのやらで非常に迷うのだ。
takam16だって、最初はボーボボボボ・ボーボとかボボボボ・ボーボとか
言っていたものだ。
お客としても、言うにはなんだか恥ずかしいタイトルだ。
両者とも慣れればたいしたことはないのだが、この本だけは質問されず
今までにいた。

ところがである。

いかにも、俺はマンガ喫茶で1日中過ごすのが趣味なんだといわんばかりの風貌
をした男が、禁断の質問についに足を踏み入れたのだ。


「ボボボーボ・ボーボボの6巻はありますか。」


           客
   ____________________________
 (カウンター)            
             店長  バイト

          takam16  


コミックというものはわからないものはさっぱりわからないもので、
あろうことか店長にその知識が不足していた。takam16がパッチワーク
関連の書籍に「?」となるのと同じ感覚なのだろう。
さらに、店長は店外の業務が中心だったので商品知識はほぼ我々に任せきり
だ。

「ボボボーボ・ボーボボはありますか。」

の質問に店長は
「ボ、ボボボボ?」

「はい。ボボボーボ・ボーボボです。」
お客の発音は正確だ。takam16とアルバイトは口をあんぐりとしながらも
状況を見守る。助け舟を出さないところが意地の悪いところだ。この辺りは
ちゃんと示しあわせているのだ。質問はないだろうと予想しておきながら、
もしもその質問が店長に及んだ時はだんまりを決め込む算段なのだ。
親指を立てて合図を送る。アルバイトもそれに応える。


さて、お客はといえばますますしつこくなっていく。

「この前はボボボーボ・ボーボボあったのになんで今日は
 ボボボーボ・ボーボボがないんですか? ボボボーボ・ボーボボ楽しみ
 に買いに来たのに。」

おい!ボボボーボ・ボーボボの使いすぎやろ。こそあど言葉を使え!

と心でつっこみを入れながら店長の横でその状況を見守るアルバイトを見ると、
なんだか笑っている。どうやらツボに入ったようだ。

「ボーボって言われてもねぇ。」 

店長はとんちんかんな顔をしている。

「いや、ボボボーボ・ボーボボです。」

客は意地になっている。まず自分の言っていることを理解してもらえない
いらだち。さらにはタイトルをはっきり言えない店長に対する憤り。

ここでもtakam16とアルバイトはフォローをしない。
がちんこ勝負に我々の入り込む余地はない。

「そ、それはいったいなんですか?」

さすがの店長もここはプライドをかなぐり捨ててお客に質問するしかない。

こいつはひと悶着ありそうだ。イライラを隠し切れないお客の次の反応が
気になる、とお客の目を見ると、視線があさっての方向をむいている。
だが、あさってと言ってもお客の視線はやや店長の首より下の方向だ。

ニヤリ。予定通りだ。

実はお客はボボボーボ・ボーボボを望んでいる一方で、
その店長がボボボーボ・ボーボボなのである。

お客はそのボボボーボ・ボーボボを見つめている。
そして、イライラが募るお客がそのボボボーボ・ボーボボを見て

「ぷぅ~っ。」

と吹き出したのだ。さすがに我々も「ぷぅ~っ。」と店長の前で
するわけにもいかないので

「在庫チェックいってきま~す。」

と、方便してカウンターを離れると、死角になる場所で

「ぷぅ~っ。」と吹き出した。我慢できなかったのである。


お客はどうしてもボボボーボ・ボーボボが欲しい。
でも店長はそれを理解しないどころか、自分自身がボボボーボ・ボーボボ
を持っているのだ。
それを知ったお客は今、ツボにはまっている。
そして我々がその光景を前にツボにはまっている。
店長はというとお客のとんちんかんな質問にどツボにはまっている。



ボボボーボ・ボーボボ。

これは店長の肘より下の腕に生い茂ったたくましい
「毛」なのであった。






あれから36ヶ月。
ボボボーボ・ボーボボは18巻まで発売している。
一方、あの店長のボボボーボ・ボーボボはどこまで生い茂っているのだろう。
ちゃんと水分を、そして栄養分を与えているのか。
今一番の懸念材料である。

ボボボーボ・ボーボボ。


蝉の鳴き声の勢力が変わり始めた。
そろそろつくつくぼうしのお出ましである。
ちょっぴり寂しくなった8月21日。
皆様、いかがお過ごしでしょう。


 
澤井 啓夫
ボボボーボ・ボーボボ 18 (18)
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takam16の本の棚
です。バーチャルですが...... 



「借りたい」以上 「買いたい」未満 の定義

理想 ・・・ 図書館で借りて読み終えたのだが買ったほうがよかったな。
現実 ・・・ 買うまでもない。借りて読めるならそれにこしたことはない。


[理想]

最近は間違った言葉の使い方がいかに日常にはびこっているか
を訴え続ける新聞記事や書籍がここぞとばかり、登場している。
野球でいうピンポイント登板なるものか、あるいはアデランス
のピンポイントというものなのか、必要な部分に必要なだけ補う
というものだ。将来お世話にでもなろうか....どっちのことだ!


最近、新聞等での記事で思い出されるのが

「檄をとばす」
「姑息」
「憮然」

である。意味はのちほど辞書で確認してもらえればよいのだが、
調査の結果、圧倒的に正解が20%以下であるということで取り上げて
いるのだろう。
この間違った使い方を紙面で見せられると、すぐに怖気づいてしまう
者ならば心に緊張が走り、間違いをおかさないよう細心の注意を払いながら
今後は会話をするのだろうか。

しかし、言葉も勉強も仕事も恋愛も間違いながら、失敗しながら吸収していく
ものであろう。語学などはその典型であり、しゃべりまくり、間違えまくりつつ
成長していくものだろう。
毎週金曜日の夜に放送されている
「ドラゴン桜」
は、バカな生徒が集まる倒産寸前の学校の再建策として1人の弁護士が
5人の東大合格生を送り出すべく特進クラスをつくり、スパルタ並みの方法で
受験指導しつつも、人間としての教育をしていくという物語なのだが、
前回の放送で英語を教える臨時講師の先生が英語を学ぶポイントを語っていた。
それが以上のようなことである。

日本語だって同じ語学。間違い、失敗しながらいろいろな言葉を覚えていく
のが正論だが最も正しいと思う。

それに付け加えて重要なことは、言葉の用法というものは時代に応じて日々
変化していくものだということを忘れるべきではないだろう。

「ヤバい」

という言葉の遣い方は若者とその他との意味のとりかたは違う。
食べ物がこの上なく美味かったり、見たことのない美女・美男にお目にかかっ
たりした時の自分の気持ちを表現するときに「ヤバい」と言うのが若者ならば、
その他はバツの悪い時やピンチに遭遇したときに「ヤバい」を遣うのだが、
論客と言われる輩は、「ヤバい」の従来の意味を若者は知らずにいることを
「ヤバい」と感じているために注意を促すのであるが、
実際若者は、「ヤバい」の意味は元来わかっているようである。
その上で、会話表現の中に「ヤバい」を取り入れていると考えた方が、
周囲の人達の会話を聞いていると合点がいく。

言葉は、言葉自体が最も世間体を気にするのであり、生き物である。
賞味期限の過ぎた言葉はいつのまにか国語辞典から消え去り、新語が生まれる。
賞味期限の過ぎた言葉とは、世間で使用されなくなった言葉であり、
世間で頻繁に使用されると国語辞典に登場したりするものだ。
「ヤバい」だって、その使用者が大勢を占め、彼らの1人が国語辞典の編纂の
仕事に就こうものなら、市民権を得ることができるのである。

「そんな言い方ないだろう」

は、200ページ足らずの軽めの新書だが、内容は面白い。

「よね。」は決め付けで、全体主義的だと著者は言う。

「AB型って変わり者が多いんだよね。」

ちなみに管理人はAB型だ。確かに変わっていると友は言うが、それは血液型
の影響ではない。

「ペッパダイン大学」は学歴詐称の古賀元衆議院議員の卒業大学の言い方だが、
得意分野だからといって英語口調をひけらかすなと著者は言う。

念のため、過去の自ブログ記事でそのような調子に乗った表現を使用して
いないか確認した。そしておかしなところは変えておいた。
あいすみません。。


梶原 しげる / 新潮社(2005/04/15)
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[現実] 「そんな言い方ないだろう」の図書館の8月15日現在の様子 北九州市立図書館   所蔵数 5冊  予約数  0件  大阪市立図書館    所蔵数 3冊  予約数 21件 さいたま市図書館   所蔵数 3冊  予約数  8件 八王子市図書館    所蔵数 1冊  予約数  0件 石巻市図書館(宮城県) 所蔵数 1冊  予約数  0件 *地域によって人気に差があるようでございます。 出版社   在庫あり ー 近々発表される文学賞等の受賞 ー 谷崎潤一郎賞            8月下旬頃 婦人公論文芸賞          9月頃 小松左京賞             9月上旬頃 オール読物推理小説新人賞   9月頃 文藝賞                10月上旬頃 (時期が変更になることがあります)
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私事で恐縮なのであるが、当ブログはまもなく開設1周年を
迎える。初陣は昨年の10月18日であった。こうして考えると
あっという間の1年間が訪れようとしているのだ。
ここまで続けてきたことにうれし涙のひとつも流そうか、
あるいはひとりでクラッカーでも購入してパンッと派手にお祝いしようか
と寂しいことをひとりごちている今日の記事でございまする。


よく、お褒めをいただく多い例に、
「いっぱい読者をお持ちなのですね。」

と、心地よいお言葉を頂戴するのがなんだかいって嬉しいことは山々だが、一方で
ランキングには参加していないこともあり、この件について誉められることは
まあない。とは言いつつ、時々ランキングにも限定で参加することもあるので、
ご了承を。

さて、ブログに参加したからには自分の書いたことを当然他人に読んでもらいたい
という願望がある。これは否定できない。もしも誰にも読まれたくないのであれば
文房具屋で日記帳でも買って、気ままに書けばいいからだ。
よって、何をどう言おうがブログにおいては他人の意識のないもとで書き綴ろう
などということはまあ考えられないだろうというのが自分の解釈である。
やはり他人を意識して書いているのだ。そうでなければ更新はしない。

じゃあ具体的にどう意識するかに話が及ぶわけだ。
個人的に、気にするのは訪問者様の数である。
ランキングに参加している方はわからないとは思うが、参加していなくても、
訪問者数は毎日知ることができることになっている。この数字はユニークユーザー数
の数字である。1人が1日に同じブログを5度訪れようが10度訪れようが、
1人としてカウントされるのだ。

さらに、自分の中で気にする最たるものは、

「読者様数と訪問者様数の比較チェック」 である。


実を申し上げると、180人も読者がいてお羨ましいとのお言葉に返答さしあげる
ならば、

「いえ、180人のうち半数は現在ブログの更新はしていないのですよ。」

と答えるのが正確なところであろう。

アメブロは数々のリニューアルをして今日に至るのだが、これによりブログをやめた
方が多いのは皆が承知するところである。
また、ライバル社のブログはなかなか使い勝手のよろしいそれもある。いわゆる移転だ。
日常生活の変化でブログを中断することもある。進学、就職、転職、環境の変化が
その理由であろう。

ブログをなんらかの理由により途中でやめてしまった方の多くは退会の手続きを
とらず、放置することが多いようだ。それが当ブログの読者様に半数いるというわけだ。

ということは、実質的にこのブログを積極的に閲覧して下さっているのは100人は
いない。数字のまやかしである。

先述の 「読者様数と訪問者様数の比較チェック」というのは、
この約90~100名の読者数と毎朝知る1日の訪問者数を比べるということである。
ただし、おそらくであるが、訪問者数の数字はアメブロ内のアクセス数だけでなく
検索サイトや他ブログ様からのそれも織り込まれているだろう。
また、読者様も毎日訪れるわけではないだろう。

ややあいまいではあるが
以上より、自分のブログがどう評価されているかを推理した場合、

①訪問者が実質的読者数を下回っていれば、そのブログは衰退しているブログであり、
②訪問者が実質的読者数と同数であれば、そのブログはボーダーライン上に位置する。
③訪問者が実質的読者数を上回っていれば、そのブログは評価され、伸びているブログ

と考えている。

実は、6月から1ヶ月半程、骨折を理由にブログの更新を怠った。
このブランクは予想はしていたが、それ以上に訪問者数の減少を招いた。
現在の訪問者数がどの程度かを公表するなどいかがなものかと思いながらも、
これは
~「裏」本と本屋と図書館に魅せられて ~

であり、ちょっくら自分の内面やブログの本質をえぐるために書いている。

言ってしまおう。
現在、「本と本屋と図書館に魅せられて」は

限りなく②に近い③である。

だから、時々ランキングに参加することでブログの存在を明らかにする必要
があるのである。ランキングに継続的に参加しない理由は以前に述べた。
時間があれば、見つけて下されればこれ幸いでありまする。
 

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