以前、とある公立劇場が主催する舞台で、
字幕機が故障した。
 
故障の理由はわからないが、字幕の遅延がひどく、30秒から1分ほど経ってやっと字幕が出てくるような状態だった。
 
複数人の字幕端末に同じ症状が起きていた。
 
舞台運営側も異常を把握していたが、
結局、最後まで字幕機は復旧しなかった。
 

帰り際に台本を押し付ける様に強引に渡され、
字幕利用者に返金はなかった。
 
私も、字幕がついたからという義務感で(そこまで作品に興味はなかったが)観に行ったことや、また頑張って欲しいという思いもあり、文句も言わず帰宅した。
 
 
 


その後、別の場所で
大大大大大好きなある作品を観た時、
私は大大大大大大激怒していた。
 
ここではリアルタイムの字幕ではなく、
台本データを入れたタブレットによる鑑賞サポートがあったが、タブレットの台本が修正されていなかったのだ。
 
 
「うちも背伸びして対応してるんだよね〜」
と、とぼけたことを言う
おじさんスタッフに対して、
修正を求めてゴリゴリ争った。
 
 
「舞台はクオリティを高めるために初日後も直すのに、なぜ鑑賞サポートの台本はいっさい直さないまま観客に渡せるのか?」
 
 
「もしかすると、過去の台本も修正していなかったのか?」
 
 
「⚫︎⚫︎さんは、障害者には修正前のクオリティでお金をとっても良いと考えているのか?」
 
 
電話であれやこれやと詰めていった結果、おじさんから、「うっ、、」という声が漏れた時はちょっと可哀想かなと思ったけど、
本当に可哀想なのは、楽しみにして複数のチケットを買った私である。

1回あたりのチケット代は15,000円。
3枚買ったので45,000円、大金だ。


笑えることに、この作品の底にあるテーマは人種差別だった。
差別を受ける主人公たちの姿が自分と重なって見え、舞台上にある「white only」という看板を見ただけでも泣けてきて仕方がなかった。
 
 
 
結果的におじさんが動き、
台本は修正された。
 

本当にその作品を楽しみにしていたなら、
あるべき対応がなく、
楽しめなかったら。
怒りと悲しみで一杯だと思う。
 
そこにあるのは、おそらく、
絶対にこの作品を楽しみたい、楽しませてくれという執念のようなもの、だろうか。。
 
 
それから1年以上経過して、
私がおじさんと大バトルを繰り広げた劇場では
まだ十分な内容ではないが、
鑑賞サポートがあること自体は
当たり前になった。
連絡すればすぐに対応しますと返事が来る。
台本の中身も、私が観た限りでは問題はない。
 
字幕機が壊れた公立劇場では、
その後も字幕は付かないまま。

“トラブルがあったけど、
大したクレームも来なくてラッキー、
もう2度と字幕には手を出さないでおこう“
と思っているのかな。。。
 
あの日、
なぜトラブルが起きたのか、しっかりと理由を追求し、再発防止を求めたほうが良かったのではないかといまだに思い出す。

舞台ファンとして、チケット代を払った「観客」として。