あの痛ましい事件をきっかけに、ファン仲間や家族、友人と劇団の対応について話す機会が増えた人も多いのではないだろうか。

私も周りの人と話していて、私自身毎月毎月この劇団の舞台を観ていながらも心からのファンにはなりきれず、一歩引いて観ていることを改めて自覚した。

 

それはなぜか。

聞こえない観客は「作品を理解して観る、という人としての権利」を獲得するために、あちこちの劇団と観劇サポートが付くように交渉をしている。その過程で、この企業・団体は人権を尊重しようとする気持ちがあるのかどうか、ということが透けて見えてくるのだ。

 

 

紙の台本すら貸し出しが無かった頃から現在まで様々なことがあった。

今はもう異動して劇場にはいないが、4〜5年ほど前に劇場のそれなりの役職の方から「字幕を見ている客がいると周りの迷惑になるんですよ」と言われた時は、聞こえない観客という弱い立場の者を排除しようとしているのか、と驚いたものだ。その発言の後、私はしばらく劇団の役者が写っている写真や映像が見られなくなった。

 

舞台は素晴らしいけれど、また嫌な事に遭遇するかもしれない。だから私は心からのファンにはなりきれないのだろう。


もちろん内部には理解のある人、鑑賞サポートを実施するために動いている方々が沢山いる。人を批判したいわけではない。社内の風土の問題なのだと思う。

 

観客として人権が尊重されていないのを感じてきたからこそ、上下関係が厳しく古い慣習がまかり通る内部で、立場が弱い方々の人権や尊厳がどう守られているのか想像するだけでも苦しくなる。

劇団員の雇用契約書一つとっても、フリーランス(個人事業主)と言いながらも企業のルールを押し付け、劇団に縛り付けるような内容に愕然とした。

 

私は唯の観客だから自分の権利を守るためには戦うし、嫌なら逃げれば良い。泣き寝入りはしたくないからだいたい戦っている。

しかし中の人は嫌でもなかなか逃げられない。責任感が強ければ尚更だ。

 

多くの人が呆れ果て、もしくは怒りと共に見た記者会見や報告書の中で、劇団はいじめやハラスメントがあったことを認めず、公演再開に向けて舵を切った。

せめて劇団の中で時代にそぐわないルールは撤廃し、社員であろうとフリーランスであろうと人権や尊厳は守るべきもの、守られるべきものである、という意識を醸成して欲しい。

このままでは亡くなられた方も浮かばれない。

少しでも劇団員やスタッフが働きやすい環境を作るために、観客としてもチケット値上げなどへの協力は惜しまない。

また、本当の意味で変わるには、観客、宝塚を放送しているNHK、CMにジェンヌを起用する企業などからの厳しい視線も必要だと思う。

 

改めて故人のご冥福をお祈りするとともに、遺族の方々の心が少しでも安らかになることを願っています。

 

障害がある人もない人も!

誰もが楽しむ劇場の実現に向け

署名活動が行われています!

ぜひご協力ください✨✨
 

https://www.change.org/AccessibleTheatre