誕生日を祝うことを知らない人 | ボイトレブログ~diario capriccioso~

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嶋田多華子(しまだたかこ)
現役ソプラノ歌手
日伊協会長野 広報、イタリア語入門講師
音楽レクレーション専門員
日伊協会長野の活動の紹介や演奏会の告知、発声レッスンレポなど
自由すぎるブログ

先日、とある記事を目にした。


 記事の筆者は子供の時に誕生日パーティーへ初めて呼ばれた時の事を綴っていたが、筆者本人の家では誕生日を祝う習慣が無かったためプレゼント選びに苦労したという内容であった。


色んな家庭がある。


結論として私が言いたいのは

そういう話を耳にした時に=不幸である、と安易にレッテルを貼るような行為は好きでは無いという事だ。


 以前、そういう彼氏とお付き合いしていたという女性から話を聞いた事がある。


彼女は自分の誕生日にお祝いの言葉も無く、誕生日プレゼントも用意せず、当たり前の様にごく普通に過ごす彼氏に対して怒りと悲しみと、そして疑問を抱いたのだという。


問い質してみると、彼は生まれてこの方一度も誕生日を祝って貰った事が無いのだそうだ。更に言うと祝った事も無い。そういう習慣のない家で育ったのだ。


彼女は大層驚き、怒りなんぞはぶっ飛んだそうだ。



そう言えば嶋田家の祖父母もそんな感じだった。


 桃の節句や七五三なども祝う事を知らなかったのか祝いたくなかったのかは分からない。分からないが、全く祝う気配が無い事にぶったまげて、東京在住の母方の祖父母がみんなお祝いをしてくれたそうだ。


妹である第二子が産まれる時も入院した母そっちのけで皆海へ遊びに行ってしまい、東京から祖母がすっ飛んできて「信じられない」と言ったそうだ。


大人になってから明かされる真実に、私も「信じられない」と思ったが、田舎ではそんなの当たり前だったのかなと思った。


しかし周りの友人はそんな事あり得ないと口を揃えて言っていたので田舎云々は関係なさそうだ。


まあ、色んな家庭があるという事だ。