石川県珠洲市でのボランティア活動を振り返って
(かなり長文。思うがままに。ドキュメント&感想)
 
自民党青年局として先着30名(宿泊先の手配もあり限定で実施)で石川県の珠洲市のボランティアセンターを通じてボランティア活動に従事してきました。
 
宿泊先は私がゴールデンウィークに訪れた際にご縁を頂いた皆さんに、またお世話になることに。
本当に助かりました、ありがとうございます!
合宿所スタイルでメンバーと相部屋、布団を並べての時間もあったからこそ、いつも以上にチーム感が醸成されたような気がします。
朝、みんなで並んで歯を磨いたり。なんか、学生に戻ったような😅
 
ボランティアセンターに0830に集合し、まずは説明を受けます。安全確認はもとより、“災害ゴミ”と言えど、被災者の方にとっての家財であったり、思い出がつまっていた可能性のあるもの。一つ一つ丁寧に取り扱いましょうなどといった、注意事項を改めて確認します。
 
その上で依頼に基づいて現場に出るのですが、
私たち30人は
18人と12人にわかれて、2現場を担当しました。
活動時間は9:00-15:30までと決まっています。
 
18人のグループは津波の被害を受けた、がれきなどをトラックに載せて、ゴミ集積所に運ぶというもの。
 
12人のグループは民家の家財道具などの運び出しと、ゴミ集積所への運搬です。
 
それぞれ軽トラ3台と乗用車にのって、自ら運転しながらナビを頼りに現場に向かいます。
 
私は民家担当のリーダーを仰せつかったのですが、最初は「12人で行って大丈夫かな?多すぎないかな?かえって動きにくいのかなー」などと心配したのですが、、
結果を先に言えば「最低12人といっても過言じゃない!」です。
能登の一軒家は大きくて広いという特徴もあるのかもしれませんが、みんなお昼ご飯の若干の休憩以外、黙々と作業にあたっても全てを運び出すこと、集積所へ運搬することはできませんでした。
 
まず家主さんに挨拶。そして、何をすべきか確認。依頼主は90歳の家主の娘さん。その娘さんからは、
「基本的に全て出して欲しいんです。」
とのこと。特に「2階を軽くしたいので、家財から全て外に運び出して欲しい」との依頼でした。
 
じいちゃんばあちゃんちを思い出したのですが、まずとにかく
布団の多いこと!
多分50人くらい泊まれるんじゃない?というほどの、
布団とシーツなど。昔って、「お客さん用の布団」とかありましたよね!🤭
 
避難所や仮設へ移動されたこともあり、せっかくの寝具も家財も動物が入って…衛生的にも使えない状態に。窓なども割れ、天井からの雨漏りもあり、カビなども生えてしまっていました。
 
何を残したいかなどを確認しながら、悩んでいる様子の時には「今すぐ決めなくても大丈夫ですよ!」と声をかけたり。
気をつけたのは「これ捨てますよね?」
とこっちの感覚を押し付けないことでした。
 
どんな状態でも、もしかしたら大切なものかもしれません。
 
「これ、どうされます?」と聞くことを心がけました。
 
そんな風にコミュニケーションをとっていたら、お家の方から、大量の使えなくなった廃棄確定の布団を急な、手すりもない階段で運び出ししていたら、、、
「布団とか座布団とかは、上から転がしていいですよ」
と。
正直、全体の運搬物の一部ではあるものの、すごく助かりました…。
 
汗かきながら、埃にまみれながら外に出したものが、あれれ???無くなってる!!
気づくと娘さんが「捨ててください」といったものが、おじいちゃんが静かに戻してたり。笑
 
そんな時はガラスなど危なくないか等を確認した上で、娘さんにもお伝えし、次までに処分の有無を決めてもらったり。娘さん、おじいちゃん、双方の気持ちがわかりますよね。
 
引き出しなどには、小物類もたくさん。
昔のおじいちゃんのパスポートが出てきたり!
見たことのないサイズでした!
 
「そこのものは捨ててください!」
 
と、言われたところから「登記簿」が出てきて「これ捨てたらダメなんじゃ?!」と慌てて確認したり。
アルバムなどは、指示がなくても、一時的に分けておくエリアに積んで「確認お願いします」といって作業をすすめます。
一つ一つ聞いていると、家中で作業をしているので家主や依頼主をあっちこっちと動かしてしまうことになるので、大きく方針を聞き、細かいことや、判断が難しいものは、まとめて確認することが作業を進める上で肝要でした。
 
例えば乾電池、段ボールなどは、じつは災害ゴミの集積所には持っていけません。それらは「一般ゴミ」として、ゴミの日に出してもらえるからです。
とはいえ、衛生上の観点からも外に出して欲しいという希望があれば外に運び出して、ゴミの日に捨ててもらえるように畳んだり、まとめたり。
 
活動のおわりの時間が迫り、挨拶をしていたら「ここまでやってくれるとは思ってなかった。本当にありがとうございます。」と何度も何度も声をかけてくださいました。
「ようやくすっきりしました。」との言葉には、これまでの長い被災生活や仮設から家に戻るたびに感じていた“どうしよう”“どうしたものか”が少しは
和らいだのかなぁー、と。
 
青年局の12人、本当に皆さん黙々と作業にあたってくれました!特に北海道連から参加してくれた学生のTくんは、私がガラス片などを集めているとガラスを入れられる土のう袋を持ってきてくれたり。常に周りに目を向け、みんなが作業しやすいよう手伝ってくれました。力持ちでもあったので、大きな家財も多かった現場では、本当に助かりました!!
 
今回の30人は自民党青年局に所属するメンバー。北は北海道から南は鹿児島から、という顔ぶれでした。大阪や長野からは「被災した時に全国から助けてもらった。」「青年局のみんなに来てもらった今度はお返し」など、「返礼」の気持ちと共にボランティアのバトンリレーが行われていました。
学生部からは、「今は京都で学校に通っているけど出身が石川県。発災後からずっと石川の被災地のために何かしたかった。」と、駆けつけてくれたメンバーもいました。
 
被災地の復旧復興はまだまだです。
半島特有のアクセスの課題などもあり、なかなか簡単に重機も人も入れない現状も。
ですが間違いなく、「創造的復興」に向けて頑張っている人、知恵を寄せている人、行動している人もいます。
 
ボランティア活動だけでなく、被災地の支援は様々あります。被災地の美味しいものを買って食べるもよし、旅行に行くもよし、募金するもよし。現地の声を聞いて、読んで、また誰かと共有するもよし。
 
私もこれからも、被災地に足を運び、また創造的復興を政治家としても後押ししていきます。
 
余談ですが、、、
金沢に向かう車中でみた日本海に沈む夕陽は格別でした!!!