【母の日💐】

今日は京都府連青年局(中島局長)にお招きいただき、京都府連青年党員大会、谷垣禎一元総裁やご地元の本田太郎代議士と共にパネルディスカッションに参加させていただきました。

そこで、「政治家のあるべき姿」というテーマでマイクがまわってきたのですが…
今日は母の日。母からの言葉をエピソードとして紹介させてもらいました。

それは、
私が悩みに悩みに悩み抜いて、選挙に出る!と決めた時のこと。
(食べれなくなって2日間で3キロも痩せたほど!😅今となれば振り返って笑えますが…😅)

誰よりも私の立候補、政治への挑戦に反対していた母。
それは、母が政治の世界の厳しさ、いや、“むごさ”
を側で経験してきたからです。親として、娘にまで、あんな経験をさせたくない、という気持ちだったのではないでしょうか。

その母に「わたし、挑戦する」と伝えた時のこと。
電話口で、「あなたが悩んで決めたのなら、もう変わらないのでしょう。でも、、、そうと決めたなら、今日からもう、あなたの父親と母親は私たちじゃないと思いなさい。」と言われました。

突然の絶縁宣言でしたが、続けて…
「これからは、7区の皆さんを父親だと、母親だと、兄だ姉だと思って可愛がってもらいなさい。」と。

母はつよし。

母は昔から、国会で地元に帰れぬ父に代わって、広い選挙区を父に代わってまわっていました。
選挙の時も、まさに二馬力で死に物狂いの選挙を闘っていました。

父が全国からバッシングを受けた時も、“別荘生活”を強いられた時も、母が後援会、事務所、家族を、何よりも父を守っていました。
あの当時のメディアは尋常じゃなかったと思います。
ゴミは漁られ、マイクは家の窓に向けられ…
でも何よりも辛かったのは、事実を話してもそれを事実として世の中に受け入れられないこと。
希望がないからです。
でも、だからと言って絶望もできない。
そんな変わらぬ日々の繰り返しが地獄でした。
明けない夜はない。
その言葉ほど辛いものはなかった。

信じてもらえぬ日が続くなら、
いっそ明日よ来ないでくれ、と思ったものです。

そんな日々を、
気丈に振る舞い、全てを守り抜いた母です。

なので今日も会場で
「私は父に似ていると言われますが、私には母のDNAが半分はいっているので、産まれた時から鈴木宗男を超えています!」と宣言してきました。😛

一方で父といえば…

「娘を戦場に送ろうとする親はどこにもいない」と母に言ったそうです。

いや、確かに「出ろ」とは言われたことはないけど、
結果として私を政治の道に送りましたよね、ね、ね、ね?!!

ほんと、父親ってやつは、こまったもんだ。
いや、我が家の父親ってやつは、ほんとにもう。。。

そして今日はそんな両親の結婚記念日。
51年目だそうです。(あってるかな?)
とりあえず父が覚えていたみたいで安心しました。
残りの人生、母のために尽くす気持ちで生きて行きなさい。じゃないとほんと、地獄行くよ、おとーちゃん。