北方領土返還要求中央アピール行動

12月1日は「北方領土返還要求中央アピール行動」の日です。



1945年12月1日に当時の安藤石典(あんどういしすけ)根室町長が、連合国最高司令官マッカーサー元帥に対し、北方領土の返還を求める陳情書を取りまとめました。この行動が北方領土返還要求運動の始まりとされております。

日比谷公会堂にて、根室市長はじめ元島民の代表者、各都道府県のみなさんや根室管内に縁のある「東京ふるさと会」等の皆さんが一堂に会され、国民世論啓発のための行進をします。

 



今年は、鈴木咲子さんが元島民として「島を離れてから78年。海の向こうの古里が一日も早く返ってくるよう祈ってきた。他界した多くの同胞たちの墓前に吉報を伝えるその日まで、返還要求運動に邁進(まいしん)したい」と語られました。



択捉島出身の鈴木咲子さんは84歳。今もなお、語り部として活動して下さっています。鈴木さんは、墓参や四島交流事業などで北方領土に暮らすロシア人島民とも交流をしており、なんと独学でロシア語も勉強されています。私も一緒に島を訪れたさいも、自らロシア語でロシア人にスピーチをされるなど、その姿勢にはただただ感服するものです。


交渉なくして解決なし、そのためにも鈴木さんは人と人の交流が必要なんだ、と正にご自身で示し続けて下さっています。苦しい、怖い、言葉にならぬ想いを経験した上で、それでも今の現実を少しでも良くしたい、前進させたい、そのために必要な環境は何なのか、私の北方領土問題解決の思いのまさに原点のような存在です。

語り部として多くの皆さんの前で発表されてこられた鈴木さんですが、さすがに緊張されたとのこと。マイクが高すぎて、せっかくの声が聞こえないというピンチがあったのですが、、、思わず身体が動いて壇上の鈴木さんのもとへ。マイク位置を直させてもらいました。



降壇されたあと、鈴木さんの娘さんご夫妻が私に「マイク直してもらってありがとうございました。せっかくの母の声を、一人でも多くの方に聞いてもらいたかったので、本当にありがとうございました」と声を掛けて頂きました。


鈴木さんご本人はもとより、側でお母さんの故郷への思いを見守り続け、聞いてこられた娘さんの強い想いに触れた気がしました。

実は娘さんも「たかこ」さん。娘「たかこ」の想いのバトンリレーとなりました。


官邸にて、松野官房長官そして自見北方問題担当大臣に表敬。岸田総理がCOP・国際会議に出張中のため、官房長官対応となりました。



官房長官には、「墓参は崔遊園事項の1つだ。特に重点を置いてロシア側に再開を求めていく」という政府の表現振りを、今のフェーズでは「「特に」ではなく、「今は」墓参の再開をロシアに求めると言い改めることが、正しいメッセージになるのではないか」と強く要請致しました。



これは政府の腹一つです。いわゆるビザなし交流や自由訪問はロシア側もすでに停止を宣言しています。しかしながら、その中でも「墓参」の枠組みについてロシア側も、あえて何ら触れていません。

で、あるならば平均年齢88歳を超えた元島民の皆さんのための人道支援・人道的観点からも、「墓参」を訴えるべきです。


同じ日、外務省にて辻副大臣にも表敬。

まさに、腹を割った良い議論、意見交換が出来たと思います。


辻副大臣も北方領土解決への思いを持っていただいていること、日本の外交力が試されていること、共有させて頂けたことは同席された首長、議長にとっても、心強かったことと感謝申し上げます。

かなり、前のめりで訴えている様子が撮られていました。😅 親子似てるところかも…冷や汗。


これからも、元島民の皆さんの想いを代弁してまいります。