本日は沖縄2区のミヤザキ政久候補の的に!
なんと25度もありました☀️
釧路の夏のような陽気でした。

ミヤザキ政久候補とは、さまざまな勉強会でご一緒しており、心強い仲間の1人です!


ミヤザキ候補は弁護士でもあります。

私が性暴力被害にあわれた当事者はじめ支援団体の皆さんの声を聞いてほしい、何とか自民党内でも支援の輪を広げてほしいとお願いしたところ、「もちろん!」といって声を聞いて下さったのがミヤザキ候補でした。


また、沖縄といえば米軍基地があります。

2区においても、

▶︎キャンプ・キンザー一部返還

▶︎国道58号拡幅

▶︎長年できないとされてきた認可外保育園の防音工事


など、目に見える形で基地負担軽減を進めてきたのは間違いありません!


特に、沖縄は歴史的にも認可外保育園が多い地域です。にもかかわらず、長年にわたって認可外保育園は防音対策から外れていました。

しかし、それを可能にしたのはミヤザキ候補です。



なんとしても国会に戻っていただきたい仲間です。

沖縄2区(浦添市・宜野湾市・読谷市・嘉手納町・北谷町・北中城村・中城村・西原町)

ミヤザキ政久候補よろしくお願い致します!



そして、空港に向かう途中で立ち寄らせて頂きました。

【対馬丸記念館】です。

遺族であり、生存者の高良政勝理事長にご案内頂きました。


対馬丸とは、太平洋戦争中の昭和19年、沖縄から疎開する学童らを乗せて九州に向かっていた船。

アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没し、800人近い子どもを含む多くの犠牲者が出ました。しかし、今でも本当の数、犠牲になった命は【不明】です。




疎開は「国策」として進められ、

嫌がる子ども達に大人は「長崎に行けば雪が見られるぞ」などあらゆる言葉で船に乗せたと言います。


そして、潜水艦に撃沈された事実も“箝口令”のもと他言無用とされ、調査はされず、葬り去られていました。




子どもたちを含む多くの人々は、今もまだ、その暗くて冷たい海の底に眠っています。

ちなみに、私をここに連れてきて下さったことには理由があります。
この対馬丸の捜索、記念館の建設に汗をかいたのが鈴木宗男だからです。
高良会長や関係者の皆さんからも、「あの時鈴木宗男さんがいなければ」とお声をかけていただきました。
詳しくは、こちら。


鈴木宗男も、
政治家として誇れる仕事は?という質問に
・杉原千畝の名誉回復
・対馬丸の捜索、発見
だと答えています。

かつて宗男バッシングでは、「利益誘導」と有る事無い事叩かれた鈴木宗男です。しかし、鈴木宗男の仕事の多くが“地元北海道”とはほど遠い地でのものです。まさに、天下国家を考え行動する国会議員の仕事ではないでしょうか。

対馬丸撃沈の犠牲になった多くの子ども達。
何とも無念で言葉がありません。
今日ご説明をしてくださった高良理事長は、当時4歳。私の娘と同じ歳です。
4歳の小さな子がどうして海に投げ出されても助かったのか。きっと、ご両親が自らの命にかえて守られたのではないでしょうか。
聞くと両親含め家族9人を失ったと。一番下の妹は0歳。写真1枚残されておりません。

今日は駆け足での見学となってしまいましたが、
総選挙を戦い抜き、仲間の議員らと今一度足を運ぶことを理事長ともお約束をさせて頂きました。

修学旅行などで是非立ち寄って頂きたい場所であり、コロナ禍で運営にも厳しさがあるかと思いますができる限りの支援をすることが今を生きる私達なりの鎮魂になると信じて止みません。