ふむ、私、昭和61年生まれ32歳です。
同世代の友達などと比べると、冠婚葬祭に足を運ぶ機会も
多い方だと思います。
そして、最近は圧倒的に最期のお別れの方が多いです。
毎週かならず黒い服を着ています。
 
どうしても、自分の最期を考えたり、
自分のお葬式はどうしようかなぁ、と考えることも。
 
セレモニー的な部分だけではなく、
どういった最期を迎えたいか、
そして家族にとっても私の最期をどう迎えて欲しいか、
どう送って欲しいかを考えます。
 
ちなみに余談ですが、
私は15歳の時、いわゆる“多感なお・と・し・ご・ろ”の時ですが、
父親を取り巻く様々な出来事が勃発!
ムネオ事件ですね。
その時に思ったんです、
「人生はどんな映画やドラマや漫画よりも奇想天外だ」と。
そしてその時に、人生初の遺書を書きました。
 
脱線してしまいましたが、
「終末期医療に関する検討PT」に出席。
海外では「death with dignity」直訳すると「尊厳ある死」という
考え方が定着しています。
 
もうこれ以上治療方法がない、もしくは精神的もしくは身体的苦痛から解放される見込みがないといった場合に、
延命のためだけの医療継続を避け、自己決定により迎える自然な死のことです。
 
よく「安楽死」という言葉もありますが、
それは治療とは異なる医療行為によって(積極的に)死なせることを意味するとされ、尊厳死とは異なる性質・性格をもっています。
 
私も、積極的な死への介入つまり安楽死ではなく
尊厳死という選択肢について議論すべきと考えます。
過剰な延命措置ではなく、緩和ケアのもと、おだやかに最期を
迎えたい、そう願うものです。
 
それに合わせ、病気や事故で自らの意思を伝えられなくなった場合のことを考えて、Living Willという「事前指示書」と訳される書面が存在します。
事前指示というと何とも無機質ですが、
「自らの最期に対する私の考え」もしくは、命の遺言状といった
ところでしょうか。
 
高齢化が進んでいるから、
ではなくて
誰にでも訪れる人生のイベントとしての「死」について、
それぞれが考えることこそ、今をどう生きるか、
より満足いく人生そして、最期に繋がると思うのです。