みなさん、お待たせ致しました。
先月27日から31日までのビザなし交流の報告です。
複数回にわけて報告したいと思います。まずは国後での報告です。
2018年7月28日@国後島
■①表敬訪問)ブタコフ・コンスタンチン南クリル地区長代行兼第一副行政長
■②視察)郷土資料博物館、古釜布墓地墓参、子ども園
■③夕食交流会)友好の家にて
■①´ブタコフ・コンスタンチン南クリル地区長代行兼第一副行政長のスピーチ
・ビザなし交流も92年からスタートし、これまで日本人23651人、ロシア人10305人が参加した。
・3島の住人が良く知っている日本の政治家鈴木宗男先生、そして娘の貴子先生も来ている
・200名+αが日本で治療を受けた 人道的プロジェクト
・共同経済活動は平和条約締結に向けた一歩
・モスクワと東京では考え方が違うところもある(ロシアは国内法、日本は特別な枠組み)
・しかしプロセスは肯定的にとらえている、8月中旬3回目のビジネスミッションが実り多きものになることを期待している
・人口)南クリル地区国後島11700名@現在
・平均給与) 5万9300ルーブル(≒11万円)大手・中企業 7万6000ルーブル(≒14万円)
・主たる産業)
国後:ユジノクリリスキー水産コンビナート、デルタ(水産加工)
色丹島:オストロノブイ、クラボザブツク(共に水産加工)
このほかに、最近はふ化場に力を入れている
2018年6月に初のふ化場が完成され、稚魚1050万尾を放流した。
・教育)国後・色丹に小中高一貫5校、生徒数は980名
子どもたちの数は増加傾向にあり施設の建設が相次いでいる。子ども園(幼保一体)は5園、500名+α
・保健医療)保健医療関係は168名、医師が32名、コメディカルが70名
国後:地区中央病院には58床、その他に3つ診療所あり
色丹:穴間に地区中央病院の分院があり、20床、また診療所も1つあり
・小売業)事業者数が98社、2018年第一四半期の小売販売額3億8360万ルーブル
・その他)“クリル発展計画”によって住宅、アスファルト舗装が着実にすすんでいる。また、文化施設、スポーツ施設などの新しい施設が18完成
★貴子は見た!★
事実関係を列挙しましたが、せっかくなので私なりの感想や見解を述べたいと思います。
まず驚いたのは、私も毎年ビザなしに参加をし、行政の表敬訪問をしておりますが、ここまで詳しい説明を受けたのは初めてでした。
まさに、そこに島の発展を通じた自信を感じたものです。
また、2年前までは行政への表敬訪問は団長、副団長、国会議員などの顧問団などの限られたメンバーでした。文化施設が出来てから、
ホールを使って参加団員全員を前にしての挨拶にも変わっています。国後においては、若年人口、というよりも子どもの数が増えているというのが顕著です。
子ども園も、毎年のように数が増えています。
ただ!!!過去のビザなし訪問リポートでも書いてありますが、島に移住すると年金受給時期が早くなったり、いわゆる“僻地手当”のようなものがあり、人生の一時期をここで生活するという方も少なくありません。中高生世代も等しく増えているのか、気になるところです。
■②´視察
文化会館の横に去年、移転された新築の博物館を訪れました。
それまではソ連時代の住宅の地下にあり、薄暗いイメージだったのですが、なんとも様変わりをしておりました。
展示物は、旧博物館時代と大きく変わってはいませんでした。
大きな変化としては、①タッチパネルのデジタル機器 ②たくさんの写真共に列挙されていたビザなし交流の歩みのコーナーが消えていた、です。
ひときわ大きなタッチパネルは、子どもようの教育支援プログラムが入っていました。アルファベットを歌ったりするもので、特別文化や歴史を教えるものではありませんでした。なんだそりゃ、と思ったりもしましたが、それだけ子どもが増えているんだな~と。
かつての博物館では、壁いっぱいに、それこそ鈴木宗男代表がおりました。(笑) ビザなしの歴史や交流の歩みがところせましと展示されており、写真もアルバムに整理されて置かれており、好きに閲覧もできました。しかし、それらが見当たらず。身近な“日本”が排除されたような気がします。今は北方領土にとって日本が身近な存在では無くなってきているのではないか、そんな焦りにかられました。
博物館には堂々と日本人が生活していた証が展示されています。
つまり、ロシア人もここ(北方領土)に日人が生活していたことを知っており、認めています。領土は第二次世界大戦の結果ロシアのものになった、という考えに対する彼らの自信です。だからこそ、“戦争で決まった土地は戦争でしか動かない”という、ある主の国際ルール、慣例を打破する難しさと重要性に触れることが重要です。
プーチン大統領も安倍総理も、「日露には解決しなくてはいけない問題がある」「平和条約が未締結というのは異常な事だ」と述べており、裏を返せば“解決する用意がある”ということです。
古釜布の墓地に訪れまず気づいたのが、かつては砂利道だった駐車スペースまでも舗装がされておりました。
日本人墓地は、ロシア人によって、しっかりと草刈りなどの手入れが施されておりました。実はこの草刈り機は、鈴木宗男が送ったものです。「壊れたりしていませんか?」と聞くと「日本製は高性能だから大丈夫」だと、「壊れたら、その時はよろしく!」とのことでした。
また、少し離れたところで墓石のようなものが発見され、それを保管して下さっているとのこと。話をきくと、釧路のその子孫の皆さんが暮らしておられるとのこと。「家族の意向が重要だから、家族がどこに建て直すか決めるまでは、保管しておこうと思っている」と。
早いうちに実現できるよう、私も出来る限りの支援をしたいと思います。
このように墓地の現状把握や、修理、立て直しなどが喫緊の課題です。本来の位置などがわかる方がいらっしゃる間に、アーカイブス化しなくてはいけません。
子ども園に伺いました。日本でいうところの幼保一体型でしょうか。明るい色使いが印象的ですが、何よりも広い!遊ぶ場所、昼寝部屋、音楽室、体育室、そしてここにはプールもあることが自慢なんだとか。
話を聞くと、ロシア全土で子ども園の“ひな形”があるようで、それを基本に建設がされるとのこと。つまり、それぞれの施設の作りはほとんど、同じだそうです。
お昼寝のベッドのかわいらしいこと。また玩具も、いわゆる知育玩具も数多く置いてありました。
ロシアは子どもに優しい国と、ロシア駐在の方からよく耳にします。
相手を知るまでは難しい顔をしていると言われるロシア人ですが、町を歩いていても表情そのままに(笑)階段の上り下りやドアの開け閉めなど、当たり前に手伝って下さるようです。
子どもたちの数の割には、先生の数が少ないなぁ、というのが率直な感想でした。やはり有資格者だけでなく分業でスタッフを確保しているのでしょうか。
また園内や敷地外も、監視カメラでチェックしていることに驚きました。この日も、土曜日で休みにも関わらず男性がモニター前に座っておられました。
それにしても、2年前に訪れたときは階段の段差が
まばらで歩きづらかったり、壁などにも隙間が空いていたのが印象的でした。(その隙間を新聞紙で埋めていたり!)
そういうことが一つもなくなっていました。
量・数だけでなく、質が確実に上がっていました。
工事に携わっている国が変わったんじゃないだろうか・・・と。
2,3年前は北朝鮮系の工事関係者をよく見ましたが、
今年はあまり見なかったような。
次は、択捉の様子を報告します!