2015311日。



東日本大震災から4年が過ぎました。

警察がこれまでに確認した死者と行方不明者は、

1万8475人。

震災関連死を含めた死者と行方不明者は、

少なくとも2万1668人に上っています

1つの町の人口、いやそれ以上という規模です。

東日本大震災、3.11と聞いて、

それぞれに皆さんの中で思い出す、忘れられない、

忘れてはいけないと思っている光景や出来事など

があるかと思います。

私は、当時NHKで働いていたのですが

あの第一報のヘリコプターからの映像は

人生で経験したことのないような光景であり、

衝撃でした。

そして同時に私が忘れられないのは、

撮影しているカメラマンの声です。

撮影している場所、時間、目の前で起こっている

ことを言葉に記録していくことはもちろんですが

目の前で、津波が人を飲み込んでいく。

避難しようと、生きながらえようと走っている人達

を、津波はただただ飲み込んでいく。

そんな中で、カメラマンの

「逃げてくれ」の声を耳にしたときに、

恐ろしくなりました。

何もできない、

目の前でどんどんと人が飲み込まれていく。

そして、これから飲み込まれてしまう

人達も見えている・・・

当事者でなければ、わからない

様々な複雑な思いがあるのだと思います。

ちなみに、そのカメラマンの方は

震災から2年後にNHKを退局されました。

アーティストとして風で動く作品づくりを

福島市内を拠点にして行っていらっしゃいます。

あの時、まさに歴史に残る映像の一端を記録した

カメラマンが、その仕事をやめ、

違う道で伝えたいものを、伝えようとしている。

メディアってなんだ、テレビってなんだ、

報道ってなんだ、

災害報道ってなんだ、

緊急報道ってなんだ、

自分なにやってんだ。

自分に何できるんだ。

あの時、多くのメディアに携わるものが抱えた

思いだと思います。

私も福島局に応援ではいったときに

全てが津波にさらわれた海岸沿いで

鯉のぼりを立てて、

ただじっと海を見つめている男性の姿。

津波で流された数々の写真や生活品など。

泥が落とされ丁寧に干されていた母子手帳。

今年も、

東日本大震災の追悼式に参列してきます。