みなさん、こんばんは。


今日の夕方に釧路から東京に戻り、

再審開始決定報告集会に行ってきました。



釈放翌日の3月28日から都内の病院に

入院していた袴田巌さんです。

以来、初めての公の場でのお姿ではないでしょうか。


横にいらっしゃるお姉さんの秀子さんの

笑顔もいつもに増して優しかったように見えます。


集会は日本弁護士連合会が主催、

300人ほどの支援者はじめ皆さんが足を運んで

おられ、お二人の登場の際にはたくさんの

励まし、応援、ねぎらいの声も飛びました。


私はなんだか、実感がようやく沸いてきた

ような思いで、胸にせまる思いがありました。


袴田さんは予定にはなかったマイクでの

スピーチも!『今後もよろしく』などと自分の声で

皆さんにお話しされました。


しかし気になったのは、

巌さんの選ぶ言葉の数々です。

きっと多くのメディアは「元気」「はっきりと発言」

など様々に報道されると思います。

しかし、お姉さんも話しておられましたが

今でも時々お姉さんに対して

「姉はいない」といった言動や対応をとられる

そうです。

痴呆症の症状も見受けられるそうですが、

これまでの拘禁症状、

過去の「袴田巌はもういない。袴田巌を飲み込んだ」

といった発言などにも照らし合わせるべきだと

思います。


挨拶の機会も頂きました。



再審開始の決定がなされたことは喜ばしいことですが

ここで私たちが忘れてはならないのは

検察が即時抗告をした事実です。


異例とされる判決文には

「捜査当局による証拠の捏造の疑い」

「拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」

などと書かれている“事実”を無視するかのような

当局の対応があります。


袴田さんのこの一連のニュースから、

当局の対応から「日本の司法の闇」が

見えてきたといっていいと思います。


ただただ、手放しに喜ぶのではなく

48年に及んだ“拘束”“死刑囚”としての不当な扱い

に対しての責任追及、何よりも見直し、

そして今後同じ過ちを繰り返さないための検証や

然るべき対応や法整備の確立が求められています。


冤罪を起こさない、

見過ごさない、そうした制度の確立があって

はじめて袴田さんの、お姉さんの

無念が晴れるのではないでしょうか?


お姉さんは巌さんへの救援のお願いをする時

決して「巌だけ・・・」という言い方はされません。

「こうした事件が、悲劇が二度と繰り返されぬよう」

と訴えているのです。


当事者だからわかる、

当事者にしかわからない苦しさ、憤り、不信、虚しさ

があると思います。

しかし、だからこそ「同じ思いをさせたくない」という

思いもあるのです。


どうかそんな袴田さんの、お姉さんの思いを

無下に、無駄にしないで下さい。


本当の笑顔を、本当の安心を、安定を

平穏なそして平凡な人生を取り戻させる

力を貸して頂けますよう心からお願い申し上げます。