みなさん、こんばんは!


今日のブログは東京発信です!


今朝は釧路からまん丸笑顔でスタート♪

年始のあいさつ回りと、午後からは

北海道新聞社グループさんの新年交礼会に出席。

各界のみなさんが一同に集結され、賑やかに

そして華やかな時間でした。


各テーブルを回っていると

「FB見てます!」

「ブログ読んでます!」

「共通の友達がいるんですよ!」

などと声をかけて頂きました。


また、

「たかこさんが頑張ってるって、話に出るんです。

今度ぜひ、顔だして下さい」と

有難い声も頂きました!

お声をかかれば、できるだけ直接足を運ばさせて

頂いています!

とにかく一人でも多くの方と直接、お会いをさせて

頂いて、鈴木たかこを知って頂きたいと思います。


政治家になる前から、

北海道はもとより、全国を歩いているとよく

「お父さんの選挙応援をしていた娘さん!」と

覚えて頂いていることが多くあります。


代表の、父の一連の騒動、バッシングがあった当時は

私は高校1年生、カナダ留学をして間もないころでした。

正直、あの頃は「なんで?」と思いました。

私が物心つく時から、私の記憶の父は

政治家鈴木宗男です。

家にいて欲しいとき、話を聞いて欲しいとき、

父はいつも仕事でした。

それでも「たかには寂しい思いをさせてすまない。

でも父さんは、国のために働いているんだ。

待っててくれている人がいるんだ。必要としてくれて

いる人がいるんだ。」

そんな言葉を、呪文のように聞いて育ちました。

私は父から仕事の愚痴を聞いたことや、

「疲れたからもう5分寝させてくれ」といった言葉を

一度も聞いたことがありません。

だからこそ、あれだけ働いてきた父が、政治家鈴木宗男

の全てを、これまでを、人生を、歩んできた道を

否定されることが悲しいのではなく、悔しかったです。


私にできることは、本当の鈴木宗男を知ってもらうこと。

その思いで選挙の時には娘として、マイクを握ることも

ありました。


今でも覚えています。

選挙最終日、20時を目前に最後のお願いの後

1人の女性が私に

「明日は他の人の名前を書こうと思ったけど、

明日は鈴木宗男と書いてくる。あなたを信じる」

と言って下さいました。


逆風の中の選挙、手渡すビラをびりびりに破かれて

顔にかけられたこともありました。

「死んで出直せ」と言われたこともありました。


でも、その女性の言葉を聞いて

「あぁ、生きていていいんだ。」と思いました。

そして、政治家鈴木宗男はやっぱり日本に、政治に

必要だと確信したんだと思います。

正直に生きた者が、努力する者が報われる社会

のために鈴木宗男が、新党大地が頑張らなくては

いけないんだと。


今では、

政治家鈴木たかこを皆さんによって誕生させて頂きました。

今でも思い返すと辛い時間もありますが、

そういった経験があるからこそ誰よりも人の痛みが

悔しさがわかる政治を目指して動いていきたいと思います。


本当に多くの出会い、

運命のような出会いに恵まれたいま、

この頂いた財産を糧に、

責任ある、未来ある政治を暮らしを実現していきたい

と改めて感じています。


みなさんとの出会いが、

私の原動力です。


本当にありがとうございます!


あっ、東京で甥っ子がお母さんと一緒に

誕生日ケーキを作って待っていてくれました。

ありがとう、みんな!!

28歳、たかちゃんは

♪大人の階段のぼるシンデレラさっ!♪

になるよ♪





なぜ鼻にクリームが・・・・