『これ以上のすごいイメージって無い気がする』from 銀河鉄道999 | 仕事とマンガと心理学

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心理カウンセラーが語るマンガと小説についてのブログです。
心理学でマンガをみるとオモシロいので、それを伝えたくて
ぐだぐだお送りしますので、楽しんでくださいね!

こんにちは、プロフェッショナル心理カウンセラーの織田です。

今日もまた懐かしい作品を。

 

 

「銀河鉄道999」

 

このマンガは大好きでした。

でも、ちゃんと最初から最後まで読んだ覚えは無くて

ラストシーンも知っているんですけれど

「読み終わった」感がないんですね。

どうしてだろう?

 

胸がときめくのは

「SLが宇宙空間を走っている」このイメージ!

宇宙戦艦ヤマトもですね、

「船が宇宙空間を航海している!」に

衝撃的な感動を覚えたものですが

汽車ですよ、汽車!

 

ヤマトに衝撃を受けたのは小学2年生のとき。

私も宇宙を船で行きたい!と思って

宇宙飛行士になろうと思いましたwww

だから、本物のロケットには

ちょっとがっかりだったのです。

 

船じゃないんだ。・・・

 

その次に出てきたのが

SLでしょう?

もう、憧れまくりました。

 

999の中に、

「実は999ほかの宇宙列車がやってきている」ことを

その星の住人には内緒にしている

地球と酷似した星の話があるんですが

「ここがそうなのかなあ」なんて思ったりね。

 

とにもかくにも、星々の間を列車が駆け抜ける

その絵にやられちゃったのです。

 

こんなに乗客がいない路線で

採算どうなっているんだとか

こんなに危険ばかりが頻発する路線が

果たして「営業」可能なんだろうかとか

どうしてこんな星に止まんなきゃいけないんだとか

そもそもこれ建設どうやったんだとか

不思議はいっぱいあるんだけれど

 

どうでもいいじゃないか

このイメージの前では。

 

という気分が今もあるのです。

物語は楽しまなくちゃね。

(でも、科学的に追求するのも楽しいんだけれどね)

 

さて、この物語。

目の前で母親を機械化人に撃ち殺された鉄郎は、

その機械化人への復讐を誓い

「機械の身体を手に入れて永遠の命を生きる」ために

999で旅をします。

 

高価な999のパスを鉄郎にくれたのは

メーテルという謎の女性。

母親にそっくりの美女で黒ずくめの格好をしています。

 

それにしても「すごく高い999の終着点までのパス」を手に入れて

ただで機械の身体を手に入れるということですが

あれだけの長さの旅ができるパスよりも

機械化人になるっていうのはお金がかかるのね。・・・

だってパスの料金には食事代も込みなんですよぉ!

途中の星の宿泊代とかなんとかも。

いったいどの位高いやら。

それだけ投資してもただでもらえる星にいくっていうんだから

パスの方が高いのよね、きっと。・・・

 

あ、お金の話じゃありませんでしたね。

 

さて、物語は鉄郎がアンドロメダ星雲にあるという

機械の身体をただでくれる星にいく道中の

さまざまなエピソードや冒険です。

名エピソードが多く、どの物語にも独特な雰囲気があり

その中で鉄郎はいろんなことを考えていきます。

 

母親の遺言、母親の復讐のことだけ考えていた少年は

いつしか

自分の道はどうして行くべきなのか

自分はどう生きたいのかを考える

青年になっていくのです。

 

メーテルは母親そっくりの美しく若い女性として

鉄郎の前に現れ

それからずっと旅の間中

鉄郎に付き添い、時に助け助けられ

こころを通わせ、しかし分からないことも多い。・・・

 

これってまさしく

グレートマザー。

ある意味、「大きくなったらママと結婚するんだ!」という

少年の夢の具現化でしょう。

 

メーテルを母親と考えると

すごく分かるんですよね。

こんなに身近にいるのに

いわゆる「プライベート」が見えない。

母親の「女」の部分や母親というペルソナの無い「個人」を

子どもの多くは意識しないものです。

 

メーテルもまさしくそうで

この「人」ってどんな人なんだろうって

いくら読み込んでもよくわからない。

母という存在がどこまでいっても母のように

メーテルという存在はどこまでいってもメーテルなのです。

 

男の子の夢だから

メーテルは女の子は連れて歩かない。

だって、女の子の夢は

王子様の大事なお姫様になることであって

母親を捜し求める旅には出ようとしないんじゃないかな。

 

だから、「母を探して三千里」も

男の子の物語でしょう?

女の子は、母親が見えなくなっても

自分が母親になれますからね。

三千里も探さないんですよね。

女の子は母という存在に対して

いらないとは言わないけれど

人生かけた憧憬を抱くことはあまりないんじゃないかな。

 

鉄郎の旅を、ある意味おせっかいに

ある意味突っ放して

見守り、導き、時にかばわれて

ずっと共に歩み続けるメーテル。

 

きっと「少年」と呼ばれる年代の男の子達だけの

彼女は美しい守護神のようなものなのでしょう。

青年になった鉄郎には

メーテルはもう添うことはできない。

だって、青年が求めるのは

自分が伴侶とできる女性だからなのです。

 

息子にとっての母という存在は

青年となった息子のための女性にはなれない。

永遠に手に入れることのない

それは深い憧れであり続けるしかない。

 

だから、母親の遺言から自由になった鉄郎の前に

メーテルはもう現れることができない。

だから、別れは突然で

そして、それを受け入れるしかない。

「永遠に忘れない」とメーテルは手紙に書いた(ような気がする)けれど

そうですよ

息子を忘れる母親はいないと思うから。

 

自由なはずの空間で

線路という決められたところしか

駆け抜けられない汽車。

超未来的な宇宙旅行と

アナログなSL.。

このアンバラスさ、この不条理さ

出会う冒険の不思議さ

理屈にあわなさ、

 

そう、子どもの夢と少年の夢は

こんな感じだから。

 

電車にのってあの山の向こうまで!

きっとまだ知らない新しい世界が

あの線路の向こうで待っている!

 

そんな少年の頃の

胸のときめきを

鉄郎は銀河鉄道の旅で

私達に味あわせてくれるのです。

 

汽車の窓から顔を出して

風を受けるときのあの高鳴り。

トンネルを抜けてごうっと鳴る線路と

抜けたときの溢れるような光。

 

人生のほんのひと時だけに

許されるあの感覚が

999の長い魅力的な物語いっぱいに

ぎゅっとつまっているのでしょう。

 

そう、少年にとっては

母親はすぐ側で体温を感じるぐらいに

寄り添ってくれる。

そして、

父親はちょっと離れたところで

自分たちを守るように立っている。

だから、この物語に出てくる「父親」たちは

いつもは側にいない存在で

謎の車掌さんはイマジナリーフレンドなのでしょう。

 

銀河鉄道999。

文字通り少年の旅路を描いた物語。

鉄郎は、幸せな少年ですね。

こんなに深く愛された少年は

きっと強くたくましく生きていくことでしょう。

でも、きっと私達は

青年鉄郎を見ることはないでしょうね。

999は彼の子ども時代を駆け抜ける

そして子ども時代だけを駆け抜ける

そんな鉄道だからなのです。