判断基準!
今、誰を『主』にするのか?
そして、そこに『自己犠牲や我慢』は
隠れていないか?
そう言うことを瞬時に察することは
とても難しく、
少しでも判断を見誤るとミスる
母親が骨折をし、手術&入院を機に
実家がゴミ屋敷化していることに
私と次女は直視することとなった訳ですが…
それは、次女は自身の人生や我が子らとの
向き合いにも繋がっており、
私は次女との向き合いにも繋がっており、
結果は私たち三姉妹との向き合いにも
繋がっている訳で
おそらく、この流れはNとは一見
無関係の見えることですが、
この一連の流れはNとの関係に
影響を及ぼすこととなるのだろうと
思っております。
今、分かっていることは
この一連の流れは本来は5年前に
向き合うべき事柄だったってことです。
5年前に向き合うべき時に向き合っておれば
事はすでに動いていることでしょう…
私は目先の感情や欲に飲まれて、
判断ミスにおいて
『その時』を安易と逃してしまったのでしょう。
この5年間が無駄だったとは言いません!
でも、私はまたしても『その時』を
逃してしまったのだと気付き
Nと出会っての15年が悔やまれる訳です
私は両親との『向き合い』を
精神世界側からしか見ておらず
現実世界での向き合いを行っては
いませんでした
母親、父親、夫と精神世界側からは
徹底的に向き合って来ましたが、
どうにも現実が動きませんでした。
その理由がやっと分かったのです
精神世界側のアプローチももちろん大事
なのですが、
それだけでは現実は動かないってことです
現実を動かすには、現実世界からの
アプローチがないといけないってことでしょう。
強制終了が起き、
やっと重い腰をあげるのではなく
自分の意思と決断の元に行動をすること
仮に一時的に苦しみが伴ったとしても
結果的に『幸せしかない絵が見える』
ならば、
間違いなく『魂からの望み』なはずなのです。
そこには自己犠牲も我慢もなく
自分主体であり、相手主体でもあるのだと
思います
つまり、5年前の夫の経済破綻の際の
私の判断は正に正しかった訳です。
同時の夫は猛反対でした…
『俺の居場所がなくなる』などと
怒鳴ったり涙ながらに訴えておりましたが、
私は夫にビビるどころか、
断固として譲りませんでした。
それまでの私はお金のことは夫に丸投げでしたが、
固定費を見直したり、私が働くようになり、
私は明らかに貯金が出来るようになりましたし、
夫自身も経済的負担が軽減し
結果、夫は『コレで良かったー!』と
浮かれておりました。
全く反省はしていません。今だにね
では、現実的なアプローチとは
と言うことですが…
私の場合は『実家の掃除と片付け』でした。
そして、まずは私や次女の私物を
片付けることを来週末にしようと思っています。
その後に両親の寝室を母親が退院するまでに
整えることをする
業者を雇えば50万近くかかることでしょう…
なので、出来ることは自分らでする
両親が施設に入ってから…
両親の死後…
などと言っていると
結果、自分たちも老いてしまう訳です
今ならば、まだ動けますからね
今やらないでいつやるのってことです…
両親がまだ元気に意識がある内に
ゴミ屋敷化した実家を
両親が住みやすく、私たちが帰りやすい実家に
する為に両親が駄々をこねようとも
強行突破して掃除と片付けを決行するのです
今、両親が必要なもの(保険証券など)
両親が生活する上で最低限必要なもの(衣類など)
それ以外は全て処分へ…
今、行えば両親の環境の変化の際に
私たち三姉妹が老いていたとしても
対応することが出来ますからね
その為に今、やるんです
これも『行動貯金』と言えるでしょうね
私はこの5年間で
肉体の健康と健全、精神の健康と健全を
改めて学びました。
そして、まともな判断は健康で健全な
肉体と精神の元に出来るってことを
実体験しております。
まともな判断の基準は人それぞれでしょうが
私は父親やNが基準であります。
これらを元に私は判断が必要な時には
感情や欲求や欲望に飲まれることなく
まともな判断を行うことが出来るように
なってきたのです