事実や現実が全てではない。

だから、犯人探しが重要ではない。


私はNに対して、

私のことをどう思っているのか?を

知りたいと同時に、

私以外にも今現在関わり合っている女性が

居るのか?と言うことと、

出会った当初も私以外にも関わっていた

女性が居たのか?

その女性とはどちらが先に誘ったのか?

はなっから私は遊びだったのか?

一体、誰がNの本命なのか?

と、拷問のような質問がしたい。


でも、したからと言って

私の不安が消え去ることはない。


『嘘』かもしれないと

きっと、Nを疑うに違いない。


Nに聞きたいことは

私の『欲』と同じ。

聞いたから(手に入ったから)と言って、

決して、満たされることはない!ってこと…


犯人探しをしても、

私の疑念は消え去らない!

私の傷付いたココロは癒えない!


職場内での嫌だった体験も

犯人探しをしたところで

何の解決にもならないってことパー


問題はそのではない。


女性関係が絶えないN。

Nがモテることはこの先も続く。

Nが快楽主義をやめるか否かは

Nの問題であって、私にはどうにも出来ない。

Nが意思を持ってやめる。そう決めない限り

力技で一時的にやめたとしても

根本解決とは至らない。


これは、職場内でのトラブルにも言える。


つまり、Nの女性関係や職場内のトラブルも

私にはどうすることも出来ないってこと。

本人が意思を持ってやめる。そう決めない限り

どうにもならないってこと。

逆に、本人がやめる意思がないのならば

永遠に続くってこと。


では、私はどうしたいのか?

そこしか、私に出来ることはないパー


Nの女性関係があるのを黙示するのか?

職場内のトラブルがあるのを黙示するのか?


それとも、Nのことを諦め身を引くのか?

職場を辞めるのか?


それとも、Nにぶつかってみるのか?

職場の人にぶつかってみるのか?


何を決めても自由!

何をしても正解である!


私な今の職場で最後のデトックスを

行っているのだと思います。


ハラスメントの構造を知り、

感情優位や溺愛の形を知り、

犯人探しやジャッジの無意味さを知り、

改めて母親のこと、夫のことを知り、

父親のこと、Nのことを知り


どう、自分の感情と向き合って

どう落とし所を見つけるのか?


そこを学んでいるのだろうと思います。


前の職場では自分のネガティブな感情を

炙り出す為の場だったのだと思います。

孤独感、疎外感を徹底的に炙り出せたと

思います。

そのおかげで、私は三女の寂しさが

腑に落ちたのですから…

どこにも居場所がなく、さぞや心細かっただろう

三女に対して申し訳なく思っています。



誰が言ったのか?

誰が誘ったのか?

問題はそこではないのです。


職場内の感情優位の人たちやNに問題が

あるのではなく!


そうやって、私が傷付いたこと。


散々、無視をされ

その挙げ句、

『辞めて欲しいって思ってるみたいよ。』と、

言われて傷付いたココロをどうやって癒すのか?

感情にのまれ辞める。も良し、

理不尽なことをしたり言ったりした人らを

非難する。も良し、

無視したり、感情的になる人らのココロに

寄り添う。も良し、

私が成長出来るやり方をしたら良いピンクハート


Nを諦め身を引くことも辛い。

Nを諦めないことも辛い。

どちらを選んでも辛い…


今は身を引くことを選んでいます。


だけど、過去の私のようにはならないパー

諦め身を引く🟰他の人をあてがう。

このようなやり方はしない!

それは、Nの代役を探しいるだけ…

Nにしてもらえなかったことを

してもらう為の存在。

それでは、私は幸せになれるはずかない!

Nを引きずっている。


諦めたとしても、身を引いたとしても

私はNのことを一生忘れることはないでしょう。

思い出す頻度は減るかもしれない。

未来を夢みることはなくなるかもしれない。

でも、ココロに在り続ける存在。

もう、仕方ない!

その上で生きていくしかない!

思い出す頻度が減ること

未来を夢みることがなくなること

それだけでもココロは軽くなるでしょう照れ照れ


サイレントがグラデーションで

明けて行くのならば、

手放すとはフェイドアウトして行くのでは

ないでしょうか?


『統合』は先に個々で成し遂げること。

その後に二人で成し遂げること。


サイレントから統合までの道のりは

険しく、厳しいもの。


その険しく、厳しい道を個々で乗り切るから

こその統合なのだと思います。


どちらかが、ギブアップしてしまえば

リタイアとなる。

私とNはリタイア組かな…


私からアクションを起こさなければ

このままフェイドアウトでしょう。


Nと音信不通だった最初の10年。

私がSNSに敏感だったなら

おそらく10年もかからなかったでしょう。

そして、SNSで関わっている今。

例え、フォローを外してもブロックしても

遮断するのは難しい…


だから、Nとのことをゼロにするのは

不可能と言える。

私が海外に逃げても、逃げられない。


楽になるには、

◯しかない…

でも、◯なないよ爆笑爆笑


Nと言う存在を抱えたまま、

これからも生きること。

未来がないだけ、

思い出の中のひと。

そうやって、生きていく…


事実や現実も、

犯人探しも、

そこじゃない!

でも、傷付いたのであれば

それは伝える必要がある。

感情に乗せず、淡々と…


私がしなくちゃだったこと?

一緒に過ごす時間を一緒に楽しむ努力を

一緒にすべきだった。


私もNも独りよがり過ぎた、

自分のことしか考えていなかった…

相手の立場ばかり考えて、

相手のココロを思いやっていなかった…

私なりの精一杯の配慮だと思ってた。

Nなりの精一杯の配慮だったのだと思う。

でも、その配慮と遠慮が

逆に、余計に相手に気を使わせてしまってたり、

寂しい思いを更にさせたのかもしれないね。


Nも寂しかったのかもしれない。

私が寂しかったように…

ただ、抱きしめて欲しかったのかもしれない。

私がそうだったように…


ごめんね。

私は何も分かってなかったね。


Nが私とは遊びだったら

あなたは何も傷付かずに悩まずに済んでいる…

その方が良い。

私がNを傷付けている(た)方が辛い。