分かった!


私がなぜ?30年もの間、

人生迷子になったのか?


私がなぜ?お金や性へ

依存し堕ちたのか?


それは…

愛し方が分からなく

なったから、

愛され方が分からなく

なったから。


私は初彼と別れた後に、

愛し方も愛され方も分からなくなったのだと

思います。

私は幸せなことに初彼が私の愛し方を

たまたま受け入れてくれる人だった。

そして、初彼は私が欲しい愛の形を

たまたま持っていたのだと思います。

だから、私は努力することなく

すんなりと欲しい愛の形を手に入れることが

出来たのだと思います。


それは、まるで推薦入学のように…

行きたい学校に特別努力することなく

すんなりと合格出来たように…

日頃の行いが実ったからか?

自分の適正(分相応)を把握出来ていたからか?

それも無意識なくらいに。


当時のダサくて冴えない私を

初彼はそのままを受け入れてくれた。

まるで、ダイヤの原石を見つけたかのように

私を受け入れてくれた…


私は初彼を溺愛し、

初彼は私を溺愛した。

もちろん、若さもあり激しくぶつかり合う

ケンカも絶えなかった。

何度も何度も『小さな別れ』もあった。

その度に仲直りもした。

溺愛故だったのかもしれない。と

今の私は笑って思う照れ照れ


そして、私はそんな溺愛に飽きて

別れを選択するのです…

その結果、20歳の時に大きな大きな

失恋を経験することとなるのです…


初彼との恋愛の仕方が

次なるお相手とは全く通用しなかったのです。

私は『なぜ?』となりました。

初彼は当たり前に受け入れてくれたことなのに、

なぜ、Jは受け入れてくれないの?

初彼は当たり前にしてくれたことなのに、

なぜ、Jはしてくれないの?

私は大パニックでした。

今の私なら分かりますが…

相手が違うのだから当たり前!だと言うこと。

それが、当時の私は分からなかったのです。


結果、20歳の失恋を体験し、

私は愛し方・愛され方が分からなくなり

人生迷子となったのです。


初彼とはダラダラと腐れ縁のように

続いていましたが、

今、振り返ると、

それは、私の愛し方が間違っていたのか?が

知りたかったのかもしれませんね。

ですが、初彼とよりが戻ることはなかったので

付き合っていた頃のような

愛し方は出来なかったし、

愛されることもなかった…

そのことが、余計に私を困惑させたのでしょう。


私は愛し方・愛され方が分からない

そのストレスのやり場を

買い物や性への『快楽』へと向かわせたのかも

しれません。

自分の愛のやり場のないやるせなさ

愛されたい人から愛されない虚しさ

ココロにポッカリと開いた穴『空虚』を

必死に埋めようとしていたのだと思います。


その空虚さを『仕事』に向けることが

出来ていたなら、

私はこんなにも人生を彷徨うことは

なかったのかもしれません…


私の空虚さは結婚しても母親となっても

埋めることは出来なかった。

離婚をし、新たな自由を手に入れても

埋めることは出来なかった。

何を手に入れても、どこまで行っても

私の空虚さが埋まることはなかった。


そして、51歳となり

ようやく、人生迷子になった原因が

何だったのか?が分かった。


私は愛し方・愛され方が分からない。

愛が分からないのではなかった…

愛がないのではなかった…

母親は母親なりの愛し方があり、

愛が分からない父親も父親なりの愛し方があり、

だけど、私の求めている愛され方は

違う。

母親と父親の中間なのだと思います爆笑爆笑

母親ほどに干渉せずに、

父親ほどに傍観せず。

『最近はどう?

何か話したいことがある時は

頼ってね!』

後は、信頼の上で見守る。

これが、日頃のスタンス!

そして、一緒に時間を過ごす時には

一緒に楽しめることをすると言うこと!

食事であるなら一緒に楽しめる食事をする

静かに二人で会話を楽しみたいのなら

個室のあるお店となるだろうし、

お酒、お料理もどちらに合わせるのではなく

一緒に楽しむ為のツールなのだから

吟味することが大事ピンクハート

ホテルでルームサービスでも良いのかもしれない

お腹を満たす食事なのか?

食事は一緒に楽しむ為のツールなのか?

間違いなく後者キラキラキラキラ


コンビニで何を買って、お弁当を買って

車の中や公園や浜辺で食べるでも

私は何でも良かったのは、

私にとって食事はお腹を満たすことが

目的ではなかったからパー

私にとっての食事とは…

一緒に楽しい時間を過ごすツールに過ぎない!

だから、どこでも何でも良かったのだと思う。

Nはそれを丸投げと解釈したり、

無関心と解釈したのだと思います。

そうじゃないんだよ!


溺愛系の女性は欲深いのだろうかな?

お腹を満たし、性欲をも満たし、愛をも満たす。

これが溺愛系のデートなのかもしれないね…

愛が分からない男性からしたら

目に見えて分かりやすい欲なのかもしれない。

だから、叶えやすいのかもしれない。


私はお腹を満たしたい訳でも、性欲を満たしたい

訳でもない!

一緒に過ごす時間を一緒に楽しむことで

愛が満たされるから。

食事もセックスも愛を満たすツールに過ぎない。

愛が分からない男性からしたら

分かりにくいのだろうね…

叶え方が分からないのだろうね…


つまり、私は

今までは溺愛系の女性がやることを

やっちゃっていたってことになる。

でも、本心は違ってた…

これから先、私が誰かと恋愛することが

あるとすれば、

『一緒に過ごす時間を大切にしたい。』

そう告げよピンクハート

お腹を満たす為の食事ではなく、

性欲を満たす為のセックスでもなく…

ゆっくり会話を楽しむ時間を過ごしたいから

個室のあるお店を希望する。とか、

二人で楽しむ時間を過ごしたいから

時間にゆとりがある時に会いたい。とか、

ちゃっちゃと食事をし、

やることをやり、

テキトーに会話をし、

制限時間内にバイバイ。

それはどんなに高級なお店で食事をしようと、

どんなに仕事が忙しく、監視の目を逃れて

時間を割いてくれたとしても

私は満たされることはない。

年に一度会えるか分からない愛する人と

3時間程度で満たされるはずはない。


私は一緒に過ごす時間を大切にしたい。

定期的に顔を見て関わり合いたい。

年単位ではなく…

せめて月単位。

もしくは週単位で

ならば、3時間程度であっても受け入れる。

それが飲めない相手ならば

無理だ。


人生最大の課題である『愛』

親から与えられる愛の形

夫婦が同じ愛の形であれば

子は戸惑わずに済む。

でも、夫婦が違う愛の形であれば

子は戸惑う。

母親は溺愛。父親は愛が分からない。

そんな両親の元に生まれた私たち三姉妹が

愛に彷徨うのは当たり前なのかもしれない。

ましてや、自分がどんな愛の形を求めているのか?

それが分からないなら尚更…

両親から愛されていない!

そう感じていたのも今は納得する。

自身の恋愛を通して学んでいくしかない訳で

恋愛につまずいても親には相談出来なかったのも

今は納得する。


愛し方が分からない。

愛され方が分からない。

地獄のように辛い。

ホントは愛したいのに、愛されたいのに、

仕方が分からないのだから泣


51歳にし、やっと気付いたお茶

初彼以外の恋愛は

『気付く』為の恋愛だった。

2度の結婚もそう。

母親になったのもそう。

私の求めている愛の形に気付く為に

起きたこと。

ツインソウルとの出会いは正にびっくりマーク

そして、Nと言う強烈に惹かれた存在(ツインレイ)

Nのおかげだわチューチュー

その対局にある夫(カルマメイト)のおかげで

私が求めていたのは溺愛ではない。ってことが

明確となった…

感謝です。


私はNと夫と出会ったことで

私の愛の形が見えた。

二人に出会わなかったら

私は一生彷徨っていたのかもしれない。


私は私のやり方で人を愛し、

私は私の欲しい愛を受け取る。

これからはそうやって生きていくピンクハート


やっと、人生迷子に終わりが見えて来た。

長かった…

しんどかったな…


ふぅ〜お茶