昨日
2月7日は北方領土返還要求の大会が
各地で行われました
今年の全国大会
友人も、父の知人も登壇すると聞いたので
母が突然『行きたい』と言いました
そう言えば昨年のアピール行動も
突然行きたいと言っていたなぁと思い
私に届いていた
大会の招待状を母に見せました
母は昨年暮れから札幌に来ていたので
郵便を止めています
根室に帰ったら郵便物が
まとめて来るので招待状が来ているはず
と、いう事で
私は母が帰り郵便物を受け取るまで
出欠の返信ハガキをギリギリまで出さず
待つ事にしました
母が帰って数日待ちましたが
何があったのかわかりませんが
昨年まで来ていた招待状は
結局、母には届かず…
私に来ないならわかるが
島民の母に届かないのは…???
私の返信ハガキ欄の
同行者の所に
母の名前を記入することも
考えたけれど…
『同行者って普通私だよね?
ここに母の名前を書くも変だよね』
招待状が来ていないのに
『行きたい』と
お忙しい事務局の方に申し出るのも
ご迷惑をかけてしまうし…
登壇する友達には
『札幌から応援しているからね!』と
メールをし
締め切りギリギリの日に
欠席のハガキを郵送
今年は大会に行くのを親子で断念しました
2月7日に向けて
北方領土のことを
メディアで色々取り上げられると
返還要求が
全国に広がるといいなぁと強く感じます
返還要求運動
島に住んでいた方々が
早く戻れる様にと
この活動は80年間続けています
10歳に島を追われた母は
今年86歳になり
語り部を通じ
多くの人との出会いと
支えがあり
北方領土のことを全国各地に伝えています
今年、アピール行動に行った時
『10年前に鈴木さんに講話して頂きました』と
母の姿を見つけて駆け寄り
話しかけてくる方々がいて驚きました
話を聞いて方が覚えてくださっている
一方通行ではなく、長い年月をかけて
人々にゆっくりと浸透しているのだ
『語り部』って本当にすごい仕事だと
感じました
でも、実際は進展もなく
祖父母と幼い頃亡くなった
叔母のお墓参りさえも行けていません
『来年、招待状が来たら一緒に行こうよ』
と、話したら
高齢になった母は
『この歳だし、来年の約束はできない』
母だけではなくって
人間誰しもわかりません
早く美しい島をまた見せたい
そんな事や色々考えると…
とても寂しい気持ちになった日でも
ありました
エトピリカから択捉島を望む
