12月1日東京。
北方領土返還要求アピール行動
『孝子の絵も見たいから行こう!』
根室市の領対の方の計らいで新宿西口で
私が描いた絵地図を飾ってもらえることになりました。
そんな母の言葉に私も参加することにし夫も行くことにしました。
ひょんなことから母が決意表明をすることも決まりドキドキの親子になりました。

日比谷公園大音楽堂のバックヤードで
出番を待つ母が心配
そんな姿を見て夫は
『連盟の方が誰もついていないかもしれない、傍にいてあげたら』と言われ
控室に案内していただき
本番まで側にいることにしました。
連盟の松本理事長さんは初めてのアピール行動に戸惑い緊張しています。
控室を出たり入ったり…体が冷えてしまうと
思い理事長さんを控室の中に入れ
話をし緊張をほぐせたらと思い
と2人でアテンドしました。




本番、舞台で登壇する母。
『咲ちゃん!がんばれ』と角鹿さんの声に、母は感極まり目から涙が溢れている。
でも、娘の私は『大丈夫!』と思っていた。



マイク位置が高く直せなくて困っている時に咄嗟の判断で鈴木貴子先生が急いで駆けつけてくれて直してくださり感謝
大きな声で母の決意表明が無事終わりました。
『貴子and孝子に守られた』と母。
旧姓『すずきたかこ』の私たちです。






ほっとしつつ、アピール行動では『お母さんのそばで歩いてあげて』と貴子先生。
夫と一緒に母と理事長を2人を気にしながら
歩きました。
そして、絵を見に行き全ての工程を終了。

今年は両親が高校時代から付き合い始めた年数も数えて67年間一緒。
父が急死し、悲しさのあまり心が折れ『語り部辞めたい』とこぼしていた母。
私は続けて欲しくて描いた絵地図を
講話資料にするように進め、講話後の質問が増えたと喜び、若い世代との交流に励まされ、段々元気なり語り部をしていて良かったと話すまでになりました。
発言している姿を見て、会場に響き渡る
母の大きな声に
『よくここまで復活したなぁと』涙が溢れ終了後
『頑張った!』と呟くと隣に座ってくれた
元NHK石川さんも『うん!頑張った』と言ってくれました。

式が終わり、夫は走り出す
追いかけると舞台裏の控室へ
鈴木貴子先生に近寄り
『母のマイクを直しててくださり本当にありがとうございます!!』
この日のためにスピーチの練習を積み
暗記していた母を見て無事スピーチを終えたことからの、夫の言葉でした
『咲子さんの娘さんもタカコだから娘のつもりでやりました』と。
気の利いた言葉に安堵した気持ちが緩む
私が舞台に飛び乗り直すわけには行かない
起点の書いた行動…なかなか出来る物ではない
本番のハプニングは多々あること
でも貴子さんのおかげで
母がベストの環境でスピーチ出来たことに
心から深く感謝しました



スピーチを見守ってくださった

元,NHK解説員の石川先生と母はこの後

ハグをします

見惚れてしまい

シャッターチャンスを逃してしまった…



左から2番目が母

(根室の新聞記者の方から写真を頂きました)



新宿西口に飾られた北方四島の絵地図

右側の英語訳は

次男の元気が作ってくれました


千島歯舞諸島居住者連盟第1号の語り部の母は
もう32年間語り続けています。
私も母と一緒に語り部になれて良かった。
親子で語り部はとても珍しいのです。
母が語り部で地方に行くなら
また私は自費でもいいからアテンドしします!