私は10年前に亡くした命があります。
急に唐突に書き始めてしまいました。
相変わらず、多忙極めておりますが…
皆様からのコメントは、本当に励みになりますし
嬉しく拝読しております。
ありがとうございます。
レスが追いつかなく、申し訳なく思っています。
お許し下さい。
昨夜は、ダンスのイベントがあり、
朝から昼まで行われました。
帰路に少々アクシデントがあり、
結構落ち込んでおります。
でも、人生山あり谷あり、
悩んで、落ち込んでばかりいても
前進しません。
自分に、
「これも、何か意味があるのだ」と言い聞かせ、
前向きに頑張っている私です。
今日の仕事も、超ハード。
お昼が16:30
おやつより遅いじゃん。
一日電話対応に追われていました。
でも、元気です。v(*'-^*)bぶいっ♪
それは、どうでもよいですね。
さて、タイトルの事ですが…
私は、今から丁度10年前に失った命があります。
今は天国へ行っているけど、わが家の子どもで尊い私の家族です。
この失われた命はどう転んでも帰ってこない。
でも、その命があるからこそ、
今があるのだと、
信じています。
三女が1月26日に3歳の誕生日。
四女が3月27日に1歳の誕生日。
三男が3月29日に5歳の誕生日を無事に迎えることが出来、
改めてそう思います。
結婚したら、子どもは少なくも3人は絶対欲しいと
意気込んでいた私にとって、
トントン拍子の懐妊だった。
1995年 6月 長男出産
1997年 2月 長女出産
そして、翌年1998年4月2日に
めでたく、わが家の3人目懐妊。
凄く嬉しかった。
こんなに思いどおりでいいのかなって思うほど…。
しかし…
4月17日 7時
突然の出血。
即座に受診。
入院を勧められるが
上の子たちの事があるので帰宅。
絶対安静で様子をみる。
しかし、そのまま出血が止まることはなかった。
23時再び大量に出血。
再診。
処置台にのって診察。
Dr.「もう、アウス(掻爬)するしかないけど、家族の同意を得られないとなぁ。」
(旦那は、仕事で不在だった。)
年配の助産師:「家族の同意云々より、もう袋から出ちゃっているんだから、どうしようもないですよね。」
この言葉で、現実を突きつけられた。
どう頑張ってもこの子は、助からないのだ。
助からない命。
その後の処置は悪夢でした。
まさか、わが子が流れてしまうなんて、これっぽっちも予想していたかったから…。
軽く夕飯も摂っていたし…
夕飯を食べているため静脈麻酔が出来なかった。
これは静脈麻酔をする上で、胃に内容物があると
手術中に無意識に嘔吐した内容物が肺や気管支に入ったりして、
窒息の原因になってしまう危険がある為だそうです。
確か、そのため、笑気麻酔と局部麻酔?で行ったような記憶がある。
もちろん、痛みは相当なものでした。
しかし、処置の時間はそれ程長くはなかった。
病室に戻り、一人
他の入院患者さんの邪魔にならぬよう
声を殺して泣いた。
泣き続けた。
この辛さは、言葉では表わせないほど辛かったのを覚えている。
なぜか分からないけど、身体は、振るえが一晩中止まらず。
布団を掛けているのに、寒くて寒くて仕方がなかった。
23時過ぎの処置だったので、
旦那がお見舞いに訪れる事もなかった。
私を病院へ送るためについて来た父親も、
病室に戻った私を見届けて帰宅した。
ひとりで、泣き続けた。
泣いてどうなるわけでもないのにね。
翌朝、やっと落ち着きを取り戻し、
診察を終え、退院する事が出来た。
この日以来、数日間の私は、
ひたすら
無だった。
そんな無だった私を元に戻してくれたのは、
長男・長女の笑顔だった。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*続く☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
その後の三男ご懐妊までの軌跡は、
また後ほどUPします。