10年前に失った宝物 | 四男&四女 8人の子だくさんママです!

四男&四女 8人の子だくさんママです!

何事にもチャレンジし続ける8人のママ。現在は芸能・セミナー講師・音楽関係の活動もしています。
2013年4月 わが家に8人目の新しい命が誕生し、わが家は10人家族になりました!

私は10年前に亡くした命があります。




急に唐突に書き始めてしまいました。






相変わらず、多忙極めておりますが…

皆様からのコメントは、本当に励みになりますし

嬉しく拝読しております。

ありがとうございます。


レスが追いつかなく、申し訳なく思っています。

お許し下さい。





昨夜は、ダンスのイベントがあり、

朝から昼まで行われました。



帰路に少々アクシデントがあり、

結構落ち込んでおります。


でも、人生山あり谷あり、

悩んで、落ち込んでばかりいても

前進しません。


自分に、

「これも、何か意味があるのだ」と言い聞かせ、

前向きに頑張っている私です。




今日の仕事も、超ハード。

お昼が16:30

おやつより遅いじゃん。

一日電話対応に追われていました。

でも、元気です。v(*'-^*)bぶいっ♪

それは、どうでもよいですね。









さて、タイトルの事ですが…



私は、今から丁度10年前に失った命があります。

今は天国へ行っているけど、わが家の子どもで尊い私の家族です。




この失われた命はどう転んでも帰ってこない。

でも、その命があるからこそ、

今があるのだと、

信じています。




三女が1月26日に3歳の誕生日。

四女が3月27日に1歳の誕生日。

三男が3月29日に5歳の誕生日を無事に迎えることが出来、

改めてそう思います。






結婚したら、子どもは少なくも3人は絶対欲しいと

意気込んでいた私にとって、

トントン拍子の懐妊だった。



1995年 6月 長男出産

1997年 2月 長女出産


そして、翌年1998年4月2日

めでたく、わが家の3人目懐妊




凄く嬉しかった。

こんなに思いどおりでいいのかなって思うほど…。




しかし…



4月17日 7時

突然の出血。


即座に受診。

入院を勧められるが

上の子たちの事があるので帰宅。


絶対安静で様子をみる。



しかし、そのまま出血が止まることはなかった。

23時再び大量に出血。




再診。


処置台にのって診察。


Dr.「もう、アウス(掻爬)するしかないけど、家族の同意を得られないとなぁ。」

(旦那は、仕事で不在だった。)



年配の助産師:「家族の同意云々より、もう袋から出ちゃっているんだから、どうしようもないですよね。」



この言葉で、現実を突きつけられた。





どう頑張ってもこの子は、助からないのだ。



助からない命。




その後の処置は悪夢でした。

まさか、わが子が流れてしまうなんて、これっぽっちも予想していたかったから…。




軽く夕飯も摂っていたし…



夕飯を食べているため静脈麻酔が出来なかった。


これは静脈麻酔をする上で、胃に内容物があると

手術中に無意識に嘔吐した内容物が肺や気管支に入ったりして、

窒息の原因になってしまう危険がある為だそうです。

確か、そのため、笑気麻酔と局部麻酔?で行ったような記憶がある。




もちろん、痛みは相当なものでした。



しかし、処置の時間はそれ程長くはなかった。




病室に戻り、一人

他の入院患者さんの邪魔にならぬよう

声を殺して泣いた。

泣き続けた。


この辛さは、言葉では表わせないほど辛かったのを覚えている。




なぜか分からないけど、身体は、振るえが一晩中止まらず。

布団を掛けているのに、寒くて寒くて仕方がなかった。





23時過ぎの処置だったので、

旦那がお見舞いに訪れる事もなかった。

私を病院へ送るためについて来た父親も、

病室に戻った私を見届けて帰宅した。




ひとりで、泣き続けた。

泣いてどうなるわけでもないのにね。



翌朝、やっと落ち着きを取り戻し、

診察を終え、退院する事が出来た。




この日以来、数日間の私は、

ひたすら



無だった。




そんな無だった私を元に戻してくれたのは、

長男・長女の笑顔だった。





☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*続く☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*




その後の三男ご懐妊までの軌跡は、

また後ほどUPします。