今日、陰陽五行論の勉強の中で聞いた話。
亡くなる際、人はまず目が見えなくなり、言葉が話せなくなるが、耳は聞こえているのだそうです。
それで思い出したのが、祖母が亡くなった時のこと。
祖母は87歳で亡くなりました。
私の母は、すでに他界した人も含めて、兄弟姉妹が9人。
私はいとこが24人?(たぶん)
祖母にはひ孫がすでに7、8人いました。
祖母危篤の知らせを受けて、祖母宅に集まれる家族が集まって来た。
9年前の話なので記憶がおぼろげだけれど、十数人はいたと思う。
もう呼びかけにも応えなくなった祖母が横たわる低いベッドの周りに、夜、みんなで集まってた。
いつ息を引き取ってもおかしくない、という状態だったけれど、なかなか「その時」は訪れず、
みんなどうしたらいいのかわからない感じで、祖母の不規則な呼吸の音を聞きながら、ただただそこにいた。
そのうち、私はどうしても黙っていられなくなった。
遠いところに住んでいて、そんなに日常的に触れ合ってたわけじゃなかったけれど、赤ちゃんの時に半年一緒に住んでたせいか、祖母にはすごく親しみを感じてた。
それで、伯母たちの手前、出すぎた真似かなーと少しためらったけど、
勇気を出して、祖母のそばに行って、手を握って、「おばあちゃん、大好きだよ。ありがとう。大好きだよ」って伝えたのです。
返事がかえってこないとしても、どうしてもそう言いたかった。
で、また元の場所に引っこんだ。
そしたら、母も祖母のところに行って、手を取って、話しかけた。
それで、また元の場所に戻った。
次はおばがひとり、出て行って話しかけた。
そうして、次々みんな、出て行っては祖母の手を取って、声をかけていきました。
日常の中ではけっして見られないような光景。
でも、みんなの心の中の想いが、そのまままっすぐ表れた光景。
神聖な儀式のような空気。
そこにいるだけで胸がいっぱいになるような。
恥ずかしかったけれど、心のままに動いてみてよかった。
みんなの祖母への想いに触れられたことが、宝物のような体験だった。
そうしてみんなが声をかけ終わり、
しばらくしてから、祖母は息を引き取りました。
とても穏やかな逝き方でした。
当時は、みんなが祖母への想いを伝えられるまで、祖母は逝くのを待っててくれたんだな、と思った。
今日の話を聞いて、残る人たちのために待っててくれただけではなく、祖母はきっと本当に聴いてくれていたんだな、と思ったら、
ああ、ちゃんと想いを伝えられてほんとうによかった、と改めて感じました。