至福のバランス・ポイント | 12枚の羽根の歌

12枚の羽根の歌

生きることは踊ること!

用事があって人ごみを歩いてきました。
ほんとは、人がいっぱいいる場所は、全然好きじゃない。疲れる。

でも、ふと「そっか!」と思い出して、カムイ・アーツの「受け容れる」の応用で、「P」を探す方へ意識を切り替えた。

そしたら、瞬時にして至福のところへ行ってしまった~♪


……って、これだけじゃ、何のこっちゃですよね。


絶妙なポイント(ポジション、ポーズ……でP)があるんです。
「相手」との距離感の。

そのPに身を置くと、相手との関係性が心地よくて、ただただ幸せを感じる。
知らない人が相手でも。ただすれ違うだけでも。人じゃなくて物でも、音でも……


極意は、自分:相手が、50:50であること。


それで改めて感じたのは、
ああ、私は「受け容れる」ってことにそこそこ取り組んできたけれど、それでもやっぱり、どこか「無視することを受け容れる」にとどまっていた部分があったなぁ、ってこと。
ほんとうの意味で、「自分以外のもの」と、きちんと向き合って受け容れてはいなかった。


だって、
ほんとうに向き合うって、
「相手」をきちんと均等に意識することなんだ。
ただ「自分の中のブロックを見つけて解除する」だけのことじゃない。

それは、真剣勝負。

べつに、いつも気を張り詰めさせている、っていうことではなくって。
きちんと意識に含める、ということ。


そうすると、必ず、相手との間に「ドンピシャなポイント」が見つかる。それは、相手と自分がちょうど50:50になるポイント。そして、そこにハマると、「自分」だけでも「相手」だけでもない、「私たち」っていう、至福のあり方になる。


……っていうとこからこれまでやってきたことを振り返ると、

「相手を何とか思い通りにさせなきゃ!」とか、コントロールしたい気持ちになっている時は、50:50じゃなくて、「自分」をずんずん100に近づけようとしていたんだな。
もちろん、そういう試みはうまくいかなくて、欲求不満が募るだけ。

逆に、「私なんて」って自己卑下したり、「だってあの人がこうしたから」って被害妄想入ってる時は、「相手」ばかりをずんずん100に近づけている時。


押し過ぎでも引き過ぎでもなく、
真ん中がいい。
なぜって、押したり引いたり綱引きしてる時は、水平方向にしか動かなくて、限りある「100」を奪い合う戦争・葛藤状態であるけれど、
「真ん中」に身を置いたとたん、急に2人で垂直方向に抜け出したようになって、まるで相手と「踊る」かのように、自由でクリエイティブな関係性になるの。


たとえば、混んでいる中、もたもた歩いて後ろの人たちをすごくつかえさせている人がいると、
これまでだったら「もうっ、急ぐ人もいるんだから、道を塞がないでよ!」くらいに思っていたのが、
50:50のPに身を置くと、
「ああ~、こんな心地よさを知れて幸せ~」な感じになってしまう。

ガンガンうるさい有線放送も、
その「P」を見つけると、心地よい関係性が保てるようになってしまう。


絶妙なんです。
言葉だけじゃうまく説明しきれないんだけど。


私にとってパラダイムシフトだったのは、
「全てのものと100%向きあわなきゃいけない」ってことじゃなくて、
あくまでも、「自分:相手」が「50:50」なのだということ。


つまり、
いつも、「50」はちゃんと自分なの。
そして、残りの「50」を、「自分以外」にちゃんと割り当てればいい。


それは、「受け容れる」の練習で「肩を上から押さえられた状態で立つ」時、
「1人に押さえられても2人に押さえられても、3人に押さえられても、同じように受け容れて立てる。『三倍ブロック解除する』わけではなく、ただ、『押さえられてる』っていうひとつのことに対するブロックを解除するだけ」というのと同じ。
(この辺は、体験したことがある方は、わかりますよね)



それと、もうひとつ大事なのは、
そのバランス点は、相手によっても異なるし、同じ相手でも、状況によって異なるのだということ。
毎瞬、ドンピシャを見つけていくものなのだということ。

そして、「近けりゃいい」ってもんでもないということ。


たとえば。
夕飯の準備のためにスーパーに行った。
国産鶏ムネ肉が、なぜか100g38円で、大量にパックされて並んでた。
それ見て、私は「ふ~ん」って思いながら、遠ざかった。

遠ざかるにあたって、いろんな理由付けはできると思う。「そんな大量に放出するにはワケがあるに違いない」とか、「肉が並んでるのを見すぎて気持ち悪くなった」とか、「鶏さんがかわいそうになった」とか。。

でも、その時の感覚は、「あ、この相手(鶏ムネ肉)との距離は、遠い方が心地いい」っていうものだった。
これぞ文字通りの「敬遠」?
鶏ムネ肉を否定したわけじゃないんです。ただ、「このムネ肉さんと心地よくいられるポイントはどこだろう?」って探ったら、遠く離れることになっただけ。


人にも同じことが言えると思う。
フラストレーションが溜まる関係性があるなら、
それは、相手との距離感や自分の身の置き方が、なにか50:50じゃないところにいるんだろう。
そして、それをちょうどいいところに持っていこうとする中で、「向き合って話す」とか「羽目を外してみる」とか、「仕事辞める」とか「離婚する」とか「引っ越す」とか、はたまた「出たことがなかった講座に出てみる」とか、いろんなことをするようになっていくんだ。

もちろん、「今に満足することを知る」も含めて。


そんなようなこと、
言葉だけでどれほど伝えられるのかわからないけど、
私にとってはものすごく大きな発見だったので、書いてみました。


人生いろいろあるけど、

でも、このことを知ってるのと知ってないのとでは大きく違う:

 誰とでも、何とでも、エクスタシーの関係になれるポイントがあるのだということ。



……というわけで、
わたくし、今夜はそろそろ、距離を取った方がパソコンちゃんと心地よくうっとり踊れる感じになってきたので、

このあたりで終わりにして、電源切りま~す♪