フジキセキが亡くなりました | 花岡貴子オフィシャルブログ「ねぇブロ」Powered by Ameba

花岡貴子オフィシャルブログ「ねぇブロ」Powered by Ameba

花岡貴子オフィシャルブログ「ねぇブロ」Powered by Ameba

無敗で朝日杯を制して3歳チャンピオン(当時)になったあと、弥生賞も制して4戦4勝のフジキセキ

そんな彼が1995年3月24日、突然引退と種牡馬入りを発表

あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。

ちょうど私は夕刊フジで予想をしていた時代でした
たまたま取材で行っていた中山競馬場の夕刊フジのブースで原稿を書いていましたが、
そんな話が飛び込んできて、とにかくびっくりして。

クラシックの最有力候補が休養じゃなくて、引退!?

すぐに渡辺栄厩舎の方に電話して、事情を聞きました。

当時は屈腱炎というと不治の病でした。
完治は難しいとされていたし、仮に復帰するにしても長い長い年月がかかる
その上、いちど屈腱炎になったら、もう全盛期の活躍はのぞめない、とされていました

だからこそ、いま種牡馬入りさせようということになった。

それを聞いたとき、その潔さが強烈に心に刺さりました。

サンデーサイレンスの初年度産駒の中で当時いちばんの活躍馬が同年代がクラシックを走っているタイミングに種牡馬になる

斬新でした。

その後のフジキセキは種牡馬としての活躍はみなさんご存知のとおり。
あのときの関係者の方々の決断がいかに見事だったか、改めて実感させられました。


ひとつ、余談を。
当時は競馬が週刊誌のグラビアを多数飾っていました。
わたしの春のクラシックの本命はフジキセキで、一緒に写真を撮らせていただき、某週刊誌のグラビアを飾る予定でした。
ところが、この引退でその写真はボツに。幻の一枚。。欲しいんだけど、発掘できないかな(笑)かわりに別の馬(たしかナリタキングオー)と写真を撮り直して差し換えになったのでありました。。中尾謙太郎厩舎、懐かしいな。

ともあれ。
フジキセキ号、おつかれさまでした。
フジキセキ号のご冥福を心よりお祈りいたします。