私が、まだライターをしていて、
スピリチュアルな分野を取材していたとき、
私が尊敬していたJさんが、
こう言いました。
「ヒーラーなら、たった一人で立って歩かなきゃいけない」
「今、活躍しているスピリチュアルマスターやティーチャーは、
必ず、そのたった一人というところを通ってきている」
「誰かに寄りかかったり、つるんだりするのでなく、
たった一人で自分の責任を取れなきゃいけない」
これは、人だけではないのでしょう。
宗教とか、メソッドとか、ツールだって同じ。
何もなくても、裸ん坊同然で立つ。
当時、私はライターでしたし、ヒーラーになるつもりは
全くありませんでした。
全くなかったというより、むしろなりたくなかった。
表に出るのは怖かったし、
そんなことをしたら、批判される・・・そんな恐れがあったので。
でも、Jさんは私はヒーラーだと言う・・・。
彼女にインタビューした内容の最後は、
まさしく私へのメッセージだったようです。
たった一人で立つ。
誰にもよりかからず、つるむのでなく。
何にもよりかからず、頼りにするのでなく。
自分という軸を立て、天と地につながるとき、
私はわたしになる。それこそが、ヒーラーという存在だと。
ヒーラーは、職業ではなく、
生きる姿だと気付いたのは、
つい最近のことです。
もちろん、職業として捉えていけないわけではありません。
でも、癒しとはそもそも何かと考えたとき、
私は、そのたった一人ですくっと立つ姿を
思い浮かべます。
しっかりと軸を立てたその姿そのものが、
それが癒しであると。
それがヒーラーであると。
誰にも、何にも寄りかからず立てたとき、
私たちは深いところでつながりあう領域に、
触れることができるのだと思うのです。
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