「私は特別」からの癒し Five of Crystals (ボイジャータロット) | 地球のお母さんになりたい

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地球に生まれ、地球に育まれ、地球に与えられ、いまここにいる私。いっぱい包んでもらったから、私は地球のおかあさんになりたい。
みんなのお母さんになりたい。



「私は特別」という思い。

もちろん、私にもあります。

それは、自分を認めることにも通じるし、
そして、自己価値を高めることにも
通じています。

特別な私。

それが自信の裏付けのうちはいいのだけど、
頻繁に表現しすぎると、
何だか居心地が悪くなります。

これ、スピリチュアルの業界に多いのですよね。

私は他の人と違ってこれができる。
私のしているヒーリングは、こんな優位性がある。

個性を表現することを超えた表現。

それが思い上がってるとか、
自信過剰とか、
そういった意地悪な見方でなくても、
何だか違和感を感じてしまいます。

これ、なんだろうなあーと思ってたら、
お茶碗を洗ってるときに、
ふっと、気が付いたことがありました。

要するに、私が特別なように、
みんなが特別。
だけど、そのみんなを超えよう、
みんなと比較して私は…と主張しているとき、

実は、それってすべてがひとつを否定していて、
小さな私がいるんです。

みんな一緒というときの広がった私ではなくて。

その小ささは、時に苦しさももたらす。

そこには、癒したい縮こまった私がいる。

あー、それが違和感の正体かあ。

実は、「私が特別」という承認を求めているとき、
その裏には、自分の個性への自信のなさとか、
否定性とかが隠れているのですね。

そして、その表現につっかかってしまう、
そのときの私にも。

いずれにも、同じ癒しが必要なのだと思いました。

そんなことをつらつら思いながら、
カードを眺めてみれば、
中央のパイライトなどのクリスタルの向こうにある
背景がだまし絵のように、
見えてきましたよ。

すべてがひとつであることは、
動かしがたい真実だと思うけど、
カード一枚すら、全体としてはとらえてないことに、
驚きました。

一つにぐっと近づく、
離れて全体を見る。

どちらも大切な見方ですね。

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