この笛吹のおじさん、踊ってはいるものの、
への字のまゆで、困った顔をしている。
みんなを躍らせちゃったけど、
どうしようみたいな・・・。
ハーメルンの笛吹のお話には、
そんな後悔みたいな感情もありますよね。
スピリチュアルの道が進んでくると、
ことばとかツールで、
ある程度魔法がかけられるようになる。
それは、それぞれがそんな力をもっているという
現れに過ぎないのだけど、
私ができる、私がやれる、
そこには認められたい、注目されたいという
エゴが潜んでいたりする。
いろんなことが現実化できるようになると、
手放す段階もやってくる。
宮沢賢治の「雨二モ・・・」は、
手放した後の心境のように思える。
いっぱい魔法を使ったら、
今度は、みんなが
魔法が使えるようになるのを見守る。
個が全体に溶けていくってそういうことかも。
魔法を手放す、そんなことに笛吹のおじさんは、
気づいちゃったのかも。
笛は自分のために吹く。
自分で吹いて、自分で踊る。
いいなあ~