五年前の今日の午前中まで両足がありました。
群馬県上野村の救急隊が新しい命繋いでくれました。
救急隊が救急ヘリを要請するも強風の為飛べず
止む無く出血多量の私を一般道を二時間掛けて
高崎の総合医療センターまで懸命に搬送してくれました。
※リブログ・・一部加筆
生かされた命・・力の限り生きてやる!
今日は事故から丸5年目の日
生かされた訳が必ず有るはず・・
2019年1月21日お昼過ぎ・・
重機が俺の左足から右足も轢いて行った。同僚が気付き
重機運転に【止まれぇ~!・バック、バックっしろぉ~!】
運転手からは見えない位置だった。 ・・・
声を聞いた重機運転手はバックしたが、結局俺の足は重機の
鉄輪に二度轢かれた事になる。
轢かれている時は、激痛だったが、痛さを通り越して
熱湯を注がれているような感覚に変わった。
両足が・・・熱い、熱い!
長靴の中に温かい血が流れて行くのが感覚で判った。
群馬県上野村の救急隊がそれほど待たずに到着し、
溢れ出る血を懸命に止血しながら走行していたが止血用
三角巾が底をついたので途中の町の救急隊に要請し、
止血用三角巾を途中で受け取り即発車!
丁度その頃、血圧低下・・・出血性ショックにより
意識レベル低下(でも全て覚えている)
上野村救急隊が懸命に対処する。・・・・生かされている。
途中の病院は重症の為受け入れ拒否・・・
群馬県高崎市の高崎総合医療センターが
受け入れを受諾してくれた。現場から2時間の道のりだった
命を繋いでくれた上野村救急隊に感謝致します。
ようやく病院到着!
麻酔をすることなく輸血・CT・レントゲン・・・
ここでまた2時間・・・まだ生きている!
やっと、17:30全身麻酔かけられ手術が始まる。
事故から4時間後だ!麻酔を掛けられ(左足切断)
気が付いたらベッド上だった。【おお、俺生きている!】
・・そう思った。
2月1日・・夜間に血圧低下・・多量の発汗と吐き気が襲う
最高血圧50緊急に輸血・・・・ここでも生き残った。
2月6日・・右足の壊死が進みこの日切断
(この日まで右足は頑張ってくれた)
生きて居るんじゃない・・生かされているんだ。
何度も俺は生き延びた・・だからこの先は
懸命に生きて行く‼
群馬県上野村救急隊皆様
群馬県高崎市総合医療センター関係スタッフ皆様
心より感謝致します。
薄学ゆえ感謝の二文字以外、思い浮かびません。
お許しを・・・・