砂鉄とエンマリラジオ | 遠藤麻理Fan

遠藤麻理Fan

本人ではありません。ラジオはFM PORT「モーニングゲート」と「朝日山ライフステーション」しか聞きません。アメンバー限定記事は、twitter「遠藤麻理Fan」のアカウントのフォロワーのみに閲覧許可します。

北書店が8月いっぱいで閉店しちゃう。

佐藤店長が3月のツバメコーヒーでのイベント中に脳出血で倒れ、救急車で運ばれていくのは、現場にいたので、ずっと見ていました。

イベント終了5分前に、佐藤店長が「トイレに行きたい。ちょっと体調が悪い」と言いました。ツバメコーヒー店長が「大丈夫ですか?」と声をかけましたが、佐藤店長は立ち上がり、トーク会場の部屋を出た所で突然倒れました。5〜6mは歩いています。

佐藤店長が倒れた時、みんなで介抱していましたが、佐藤店長の喋りはなめらかなので、みんな安心した雰囲気でした。しかし左半身が動かないというし、言葉が僅かに呂律がまわらない感じがしたので、僕が救急車を呼んだ方が良いんじゃないかと言いました。佐藤店長は僕の顔を見てニッコリしました。みんなは、そうしなければならないことに気がつき、ツバメコーヒーの店長が早速、電話をかけて救急車を呼びました。

ドクターヘリが来たのは見ましたが、三条の病院に入院したそうなので、ドクターヘリに乗ったのかどうかはわかりません。でも乗ったらしい。4月から新潟の病院に移動したそうです。

長い入院でしたが、7月に退院して、店にも復帰するようになったのに、閉店のお知らせには残念でなりません。

佐藤店長は、北光社の店長を務めていたが、2010年1月に閉店。佐藤店長は、2010年4月、ダイアパレス1階に北書店をオープン。今年12年目の4月を佐藤店長は病室で迎えました。

北光社は、ある年からレジの横に新潟県の郷土本が自費出版も含めて沢山置かれていました。それが佐藤さんが店長になってからだったらしいです。寺町からの会が製作した西堀通の寺のマップ、児玉義男さんの「万代橋ものがたり」、三芳悌吉の「ある池のものがたり」を購入出来たのも北光社のおかげです。

北光社は、子供の頃からよく通った書店です。昭和50年に紀伊國屋書店新潟店が開業すると、北光社は3階、4階へも店舗を広げました。

僕が子供の頃は、古町通6番町と7番町にモールは出来ていませんでした。古町を歩いている時は弘願寺の巨大な弘法大師像は上を見上げないと、子供の頃は、その存在に気づくことはありませんでした。それが北光社の4階の窓から見えたのです。巨大な像にビックリしました。小学生の頃です。

新潟駅前と笹口にあった支店にもよく行きました。他にも支店があったらしいが場所を知らない。

北光社の創業については、明治41年の昭和30年の大火で貴重な資料が全て焼けてしまった為、詳しいことはわからないそうです。ただ文政の中頃に水原で書店を開業したそうです。

初代の名前は、斉藤俊秀(号堯山)。その時の店名は、「紅屋潤身堂」。「紅は表面を飾るもの。書物で身を潤し、心の化粧もしてほしい」という初代の願いや創業時の苦心が店名に示されているそうです。

2代目の名前は、斉藤忠敬(俗名は忠三郎)。家業を継いだのは嘉永7年(1854年)。2代目は、明治10年に42歳の若さで死亡しています。京都へ書籍を仕入れに行った折に、たまたま蛤御門の戦に出会い、本人が記録した観戦記が残っており、2代目の苦労が彷彿として偲ばれるそうです。

小林存が書いた『水原郷土史』には「斉藤忠三郎 忠軒と称し、堯山の養子で門前の長五郎方から来た者である。長五郎家は古い郷宿


北光社の文庫の並べ方。

普通の書店の文庫の並べ方は、角川文庫、新潮文庫、講談社文庫など出版社ごとに並べています。それが北光社では、ある時から出版社全てを一緒にして、作家名の五十音順に並べられていました。有名な作家なら、それで本を探すのは楽だと思いますが、目録や文庫の新刊広告を見てから購入する為に北光社に来ると、作家や出版社編集の本によっては探しずらいことがよくあった。僕は出版社別に並べた方が本を探しやすい。それか文学、歴史、科学、美術など分野別に並べられていれば、好きなジャンルの本だけ探しやすい。

北書店も入り口入ってすぐ右に新潟県の郷土本が揃っている。現在、北書店で売っている郷土本の8割は持っています。そのほとんどは北書店で購入したわけではありません。

北書店で購入出来てありがたかったのは、まず『底本市島三千雄詩集』。これは2017年に「市島三千雄を語り継ぐ会」が発行しました。月一の会合に時々出席しますし、講師として市島三千雄について研究発表したこともあります。もちろん平成3年発行の『市島三千雄詩集』は以前から持っています。

市島三千雄が参加していた同人誌「新年」の復刻版も北書店で購入出来ました。

次に『新潟古老雑話』の復刻版を購入。これは昭和8年に鏡淵九六郎という人が発行した本で、2016年に野内さんが復刻しました。

次にイザベラ・バードの『完訳日本奥地紀行』の1巻と2巻。翻訳者の金坂清則さんの講演が新潟日報ホールとりゅーとぴあ能楽堂で行われた時、参加しました。新潟イザベラ・バード研究会主催のまち歩きも毎年何度も参加しています。

児玉義男さんの自費出版本『藤陰静枝の自叙小伝』『藤陰静枝の子〜父は文豪永井荷風と確信〜』『小唄勝太郎の生涯』『歌姫小唄勝太郎物語』の4冊も北書店で販売されていたが、これらは紀伊國屋書店新潟店で購入しました。

また新潟郷土史研究会の会報『郷土新潟』は、毎年北書店で購入しています。

冥土のみやげ企画が発行している書籍も色々あるが、それは北書店ではなく他の書店で全て購入しました。

そうそう、「いとしげな佐渡」を毎号、北書店で買っていました。これってそだたべBOOKSでも売っていただろうか?

北書店では、色々なイベントに参加してきましたが、一番の思い出は『自望自棄』発売記念イベントと「エンマリともちぃのブックトーク」に参加したことです。

イベントを開催する書店はもうないかもしれない。

北書店がなくなったら、新潟の郷土本を集めるには、これからもそだたべBOOKS、村上の益田書店、新発田の万松堂と高木書店、長岡の文信堂書店長岡店、戸田書店長岡店、上越の春陽堂書店、知遊堂上越国府店に通えば充分カバー出来る。

8月24日、イベント開演は19時だが30分前に北書店に到着。中を見て、これはヤバいと感じました。会場には丸イスが50くらいビッシリと並べられていて、既に20人くらい座っている。前の方の席は埋まっていたが、一つ空いているイスを見つけ、後ろから人と人のスキマをこじ開け、前の方の良い席を確保出来た。隣の人と体が触れるくらいで、満席になった時には更に密でヤバいと感じました。

ラジオは普段、全く聴かないので、もちろん武田砂鉄さんのラジオ番組「アシタノカレッジ」を聴いたことがない。「四畳半スタジオ」も聴いたことがないから、7月の燕三条エフエムのまちやま開業イベントが約2年ぶりに聴いたラジオ番組だった。「アシタノカレッジ」は、BSNラジオでも放送されているらしい。

定時の19:00に武田砂鉄さんと遠藤麻理さん登場。

武田砂鉄さんは、朝6時発のカーフェリーで佐渡へ行き、夕方5時発のジェットフォイルで、イベント開演直前に新潟へ戻って来たばかり。体はヘトヘトだそうだ。

佐渡へは色々な所へ行ったそうで、小木ではたらい舟に植本一子さんと一緒に乗ったそうです。

また、佐渡のブックオフへも行っだそうです。武田砂鉄さんは、いつもブックオフへ行くと、自分の本があるかどうか探すそうですが、それはなくて遠藤麻理さんの「自業自毒」があったから回収してきたそうです。750円。

砂鉄さんが佐渡へ行って、一番ビックリしたのは、ローソンの色が違うことだそうです。普通、ローソンは水色か青ですが、佐渡のローソンは紺色だそうです。砂鉄さんは、佐渡の人達に何故色が違うのか聞いたが理由がわからなかったそうです。

僕は知っているが、景観条例のある地域のコンビニは、紺色か茶色にすることに決まっているのです。福島県の五色沼近くのセブンイレブンは茶色です。新発田市内にも茶色か紺色のセブンイレブンがあるという情報をtwitterのフォロワーの呟きで見たことがあります。

僕が見つけたのは、国道460号線沿いの新発田市(旧豊浦町のファミリーマートと新発田南高校斜め前のローソンは紺色です。

2017年から2019年に遠藤麻理さんと行く佐渡ツアーに4回行っていますが、その時の佐渡のローソンは、紺色ではなく青色でした。店舗数も4店舗しかなかったが、今は8店舗あるらしいです。

また最後の参加者からの質問で、佐渡に住んでいる人と、新潟県民は、佐渡ヶ島(さどがしま)という言い方はしない、佐渡(さど)と言うという話がありました。県外の人は(さどがしま)と言う。それはどうしてか?僕はその辺を意識したことがないので、よくわからない。確かに佐渡(さど)とは言っているが、(さどがしま)という時もある。

遠藤麻理さんは、先輩アナウンサーから「さどがしま」という言い方は、「おにがしま」に繋がるから言わないように言われたことがあるという。語尾に「がしま」がつく島は、他に種子ヶ島(たねがしま)がある。他に青ヶ島、城ヶ島、友ヶ島、竹ヶ島、安田ヶ島、頭ヶ島、友ヶ島、虻が島などがある。

「ヶ」は助詞にすぎず、オニガシマと繋がるなどという考え方は、差別に繋がる悪しき因習だと思うので、やめた方が良いと思う。

それよりも日本の島は「しま」と読むが、北海道と外国の島は「とう」と読むことを考えた方が良い。礼文島(れぶんとう)、利尻島(りしりとう)、奥尻島(おくしりとう)など。

武田砂鉄さんは、地方に行った時、必ずその土地の新聞を購入するという。そして取り出したのが23日の新潟日報です。そう、あの投稿が載っている新聞です。前日から新潟に来ていたんですね。

武田砂鉄さんがこの業界に入るキッカケは、十代の頃からヘヴィメタルが大好きで19歳の時に『Beatleg』という海賊盤CDの雑誌がライターを募集していたので応募したら採用され、コラムを10年くらい担当していたという。最初は本名で書いていたが、河出書房に入社してから武田砂鉄のペンネームで書き始めたそうです。

『Beatleg』という雑誌は、Bootleg(ブートレグ)と呼ばれる洋楽のコレクターズCDの解説本です。僕も創刊号から終刊号まで全て持っています。

僕が好きな音楽はヘヴィメタルではなく、The Beatles、Rolling Stones、Beach Boys、Bob Dylan、Cream、Led Zeppelin、Janis Joplin、Jimi Hendrix、The Byrds、The Doors、David Bowie、T.Rex、King Crimsonなどです。僕は、海賊盤CDも5000枚以上集めているブートレグCDのコレクターです。

『Beatleg』は毎月読んでいたが、興味のない記事は読まなかったので武田砂鉄という名前は、全く記憶にないし、印象にない。バックナンバーを見てみたら、武田浩和さんでした。今回読んでみたら、やはり僕には興味が持てない内容であった。Bootleg CDコレクターとしては、やはりCDの音源のマニアックな解説を読みたい。正規音源との違いや未発表曲の解説、オーディエンス録音なのかサウンドボード録音なのかとか。その為にBeatlegを買っていたのだ。

武田砂鉄さんがヘヴィメタルを聴くようになったキッカケは、B'zだそうです。大学の時、偶然音楽番組の製作会社でアルバイトをしていたが、そこがB'zのプロモーションフィルムを撮影する会社だったので、プロモーションフィルムのADをやっていた。「熱き心の果てに」という曲のプロモーションフィルムは、B'zの事務所の屋上で撮影した。アンプの上に松本さんが上がってギターを弾いているが、「アンプが倒れないように武田抑えていろ!」と言われたので、アンプを抑えている武田さんのお尻がプロモーションフィルムに映っているという。




イベント終了後、武田砂鉄さんの本は購入せず、遠藤麻理さんにのみサインと写真撮影をお願いしました。

今回、武田砂鉄さんの本を購入しようとは思わなかったが、武田砂鉄さん編集の本『愛の山田うどん』と『うまい棒大百科』が気になり、ネットで探したらあったので、すぐに購入しました。