~髄膜腫(脳腫瘍)が発覚した2023年夏~
本ブログは、2023年7月髄膜腫(脳腫瘍)発覚→9月開頭手術・入院の体験記、そして、退院後の生活を綴ったものになります。
「髄膜腫になったけど、どうしよう!?」
「そもそも、髄膜腫って何だ!?」
「検査、入院、手術はどうなる!?」
「退院後の生活が不安だ。。。」
と感じる人が多いかと思います。
自分も同じでした。
そんな人に向けて、「少しでも参考になれば」と思い、治療経過をなるべくリアルタイムで記録し情報発信したり、退院後の経過を綴ったりするため、本ブログを始めました。
これから闘病を控える方が、本ブログを読んで追体験して不安を緩和したり、
少しでもお役に立てれば幸いです。
入院17日目(1週間ぶりのシャワー&一般病棟への移動)
9月22日(金)。
入院から17日目、髄液漏閉鎖術後7日目。ちなみに、開頭手術後14日目となる。
腰椎ドレーン(スパイナルドレーン)も抜去され、体から一切の管がなくなった。
昼夜関係なく光、音、声のするSCUの中ではぐっすりとは眠れないけれど、それでも前日よりはいくらか眠れたかもしれない。
午前9時ころ、本日中に一般病棟へ移ることとなった旨看護師さんから説明される。
壁も無く、カーテン越しにいろいろな音や話が筒抜けてしまうこの環境から脱出できるのはありがたい。
と、同時に「シャワーを浴びてよいので、時間を決めましょう」という話もされる。
1週間、ベッド上での安静を強いられ、温かい濡れタオルで毎日清拭していたとはいえ、そろそろ体臭がきつくなっていた(特に、頭!皮脂の臭いが結構していた)ところだったので、これも更にありがたい。
りんりん「シャワーできるの嬉しいです。頭の臭いとかいい加減きつかったので」
看護師さん「そんなことないですよ!夏場に部屋で一人で倒れていた患者さんとか、真夏の工事現場で倒れちゃった患者さんとかに比べたら、りんりんさんは無臭ですよ!」
看護師さんの経験値、おそるべし。
午前10時30分過ぎ、病棟の移動が決まる。
2人部屋の廊下側のベッド。
だったのだが、午後になるともう一人の方はどこかへ移動されてしまった。すると、看護師さんの配慮で窓際にしてもらった。
加えて、自分以外は病室内に居なくなったので、実質的に個室として悠々自適に過ごせた。
午前10時45分ころ、シャワーをいただく。
念願のシャワー!!
再切開した頭部や、髄液漏閉鎖術の時に使う脂肪を採取するために切開した左脇腹の傷をいたわりながら、エアリーなタッチでのシャワーから始める。
特に染みることもなかったので、普通の水圧のシャワーを頂く。
こんなに長く頭を挙上する状態も1週間ぶりではあったが、起立時の頭痛と気持ち悪さも程々で済んでいたのて、頭皮の頑固な皮脂汚れを落とすべく3回も洗髪した。
退院の可否のテストを兼ねたリハビリ
午後1時過ぎ、昼ご飯を食べ終えたものの食欲を持て余していたので、別フロアの売店まで足を延ばす。
病室に帰り、おやつのヨーグルトとシュークリームを買って一足早いおやつを食べていると、突然、作業療法士さんが登場。
療法士さん「主治医から状態を評価してあげてという依頼があったので、来たんですけど。おやつ中だからまた改めて来ますね!」
申し訳ない気持ちとともに、辛いドレーン生活・SCU生活を乗り切って甘味を堪能している時間を何人にも邪魔されたくなかったので有難い。
午後2時40分過ぎ、満を持して療法士さん再登場。
いろいろなテスト、ゲームを約1時間ほどさせられる。
「私が今から3つの単語を言うので、続けて言ってみてください。」
「100から7を引くと?そこから更に7を引くと?」
「見本のとおりの絵をかいてみてください。」
「私が今から2つの単語を言いますので、覚えてください。その後、私が1つ単語をいうので、続けて対になるもう1つの単語を言ってください」
「『か』から始まる言葉を出来る限り言ってください」
「最初に私が言った3つの単語は何だったでしょうか?」
「さっき書いた絵を、今度は見本を見ないで書いてみてください」
etc.
普段だったら何でもない問題でも躓きかける。
「これはいかん!」と思って、頭のギアを入れて問題に答えていると、時間が経つにつれて今度は頭がふらふらする感覚に襲われる。
ということで、1時間ほどでギブアップ。
でも、療法士さんいわく「ほぼ満点。いつでも退院できるね!」とのこと。
そして退院へ
午後6時前、なんと主治医登場。
いつもは午前中やお昼付近の時間帯に回診に来ていたのに、今日はこの瞬間まで姿がお見えにならなかったので、
「1日1回以上のペースでオペやってそうだし、今日もオペらしいとの噂を聞いてたから、忙しいのだろう」
程度に思っていたのだが、来てくれた。
しかし、顔面にこの17日間で一度も見たことの無いような疲労感が表れている。
両目の下のクマもすごい。
それはさておき、療法士さんとのリハビリの結果も踏まえ、今後のことを話にきてくれたようだ。
主治医「調子良さそうだねぇ!いつ頃、退院したい?」
りんりん「正直、入院してても退院して自宅にいてもやることは変わらなそうで、、、。最短でいつ退院可能ですか?」
主治医「明日でもいいよ」
りんりん「本当ですか!?Σ(・□・;)」
主治医「奥様に連絡してみて奥様が『いいよ』と仰るなら、いいですよ!抜鈎や経過は外来で対応するということで」
頭痛もふらつきもドレーンを入れていた頃よりもだいぶマシになっていたので、これは嬉しい。
主治医が「じゃあ奥様に連絡してきます!」と言って病室から退室。
一応、自分からもすかさず妻氏に根回しの連絡をする。
筋書きとしては「主治医からこの後連絡があるから、『夫に早く退院してほしい』とリクエストしてね」とリクエストするようにという内容で妻氏と調整した。
が、主治医が妻氏に連絡した際に開口一番「ご主人が早く帰りたがっているのですが、明日退院でもいいですか?」と説明したらしい(その日の夜、妻氏との電話にて聞かされた)。
この説明だと、いい年した男がまるでホームシックになっているかのようではないか!!
間違いではないけど、何か恥ずかしい。
午後8時過ぎ、妻氏と電話。
今までSCUの中では通話禁止だったため、ひさびさの通話。
そして、実質的に個室だったので、病室内で気兼ねなく会話できた。
娘の声もちょっと聞こえた。
入院した9月6日(水)から2週間以上もワンオペで2歳の娘氏の育児をし、そして、仕事も家事もやってくれていた妻氏に感謝しつつ、比較的長めに電話が出来て嬉しい。
そして、SCUに居た約1週間で累積した睡眠負債を返済するかのごとく、午後9時過ぎには就寝。
声、音、光その他の何によっても睡眠を妨げられることなく久々にゆっくりと寝つけた。
病院で過ごす最後の夜は穏やかに過ぎて行った。