「事例は出題者の頭の中で作り上げられたフィクションである。」

 

この話は以前この場でもしました。

 

A社やB社などという会社は実在しない。

 

事例を前提に設定された問題を処理するには、

まず、

出題者の頭の中で作り上げられた話を受け容れなければなりません。

 

「A社は、資本金1千万円、従業員15名の蕎麦店である。」

という一文で、

 

「はいはい、

今回は蕎麦店の話なんですね。」

 

と出題者の話を受容する。

 

この“受容“がポイントです。

 

“受け容れる“

 

「今回のA社の事例」という容器をつくるイメージです。

 

自分の中に取り込もうとすると、

うまくいきません。

読んだ途端にすべて理解できる訳ではないし、

よく読んでも出題者の意図がわからないこともありますから。

 

むしろ、

自分の外側の器(空間)に出題者の作った話が描かれる。

受容は、“とりあえず容れておく“ということであり、

賛成したり、同意したり、しません。

 

受け“入れる“わけではありませんから。

(あくまで受け“容れる“です。)

 

賛成したり、同意したりすることが前提となると、

当然、

賛成できないこと、同意しにくいこと、が生じます。

つまり特定の箇所に“引っ掛かる“。

こうなると全体の文脈が読み取りにくくなってしまいます。

 

とりあえず受け容れておく姿勢は、

前回お話しした、

選択(判断)を留保するということでもあります。

選択(判断)の余地を見出す。

 

「器が小さい」人という表現があります。

 

これは、

物事を受け入れる能力の低さ(度量の小ささ)を表しているのではなく、

自分の外側にとりあえず容れておくことができないと考えることもできます。

 

なんでもかんでも自分の中に取り入れることは誰だってできません。

 

自分の外側のスペースにアテンションプリーズ。

受容の可能性は無限につくり出せます。