平間寺

 

 

真言宗智山派 大本山 平間寺

 

 

山号 : 金剛山

宗派 : 真言宗智山派

寺格 : 大本山

本尊 : 弘法大師

創建年 : 1128年(大治3年) 

開山 : 尊賢

開基 : 平間兼乗

正式名 : 金剛山金乗院平間寺

通称 : 川崎大師

 

 

所在地 : 神奈川県川崎市川崎区大師町4-48

 

 

成田山新勝寺、高尾山薬王院とともに智山派の関東三大本山の一つ。
大治年間(1126~31)、平間兼豊・兼乗父子の武士が、
諸国流浪のすえ川崎の地に住み着き漁業をなりわいとしていたが、
あるとき海中より1体の木像(弘法大師像)を引き揚げた。
兼乗は当年42歳の厄年であったので、その像を日夜懇ろに供養し、厄除けを祈願した。
そのころ高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄り、
尊像の霊験奇瑞に感動し、兼乗と力をあわせて1128年(大治3)一寺を建立したのが当寺の開創で、
兼乗の姓平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、本尊を厄除弘法大師と称するようになった。
中世には兵火にかかり衰えたが、江戸初期には六郷宝憧院末寺となり、
1648年(慶安1)幕府より朱印6石を寄せられた。
明和・安永年間(1764~81)隆範、隆盛らが相次いで諸堂を修造して興隆。
このころ将軍徳川家斉の参詣を得て寺運栄え、広く庶民に信仰されるに至った。
1805年(文化2)宝憧院を離れ、醍醐三宝院直末となる。
1879年(明治12)三宝院を離れ京都智積院直末、98年に別格本山となり、
1958年(昭和33)大本山に昇格した。
1945年戦災で諸堂宇を焼失したが、戦後復興に努め、64年に不動堂および本堂を落慶。
さらに、中書院、交通安全祈祷殿、信徒会館、大山門、八角五重塔を建立し、伽藍の偉容を一新した。

 

『大山門』

 

『不動門』
戦後、第43世隆超和上により福島県の有縁の地より山門として移設された。
現在の大山門建立に伴い不動門として移設。

 

『祈現平和の像』

 

『八角五重塔』
中興塔(八角五重塔)
1984年(昭和59年)、弘法大師1150年御遠忌・大開帳記念として落慶。

 

『力石』

 

『不動堂』
1890年(明治23年)創建。
現在の建物は1964年(昭和39年)に再建されたもの。
本尊の不動明王は成田山新勝寺の本尊を勧請。
関東三十六不動霊場第7番、武相不動霊場第1番札所。

 

『大本坊』

 

『鐘楼堂』

 

『遍路大師』

 

『納礼殿』

 

『中書院』
1966年(昭和41年)5月落慶。
南側「光聚庵」(崇仁親王妃百合子命名)と北側「心月庵」(茶道裏千家家元汎叟宗室(鵬雲斎)命名)、
「静嘉軒」(立礼席)からなる。

 

『経蔵』
2004年(平成16年)5月1日落慶。
中国最後の木版代大蔵経といわれる、「乾隆版大蔵経」を収蔵、本尊は釈迦如来。
天井には韓国人間国宝・李萬奉による「双龍」、仏画家・染川英輔による「飛天」図が荘厳されている。
また釈迦如来像正面には巨大な五鈷杵が安置されている。
天井画は京浜急行電鉄、扁額と賽銭箱は川崎信用金庫が奉納した。
経蔵の落慶により、川崎大師には七堂伽藍が整い、戦後復興が完了したとされている。
福徳稲荷堂大本堂と不動堂の間に位置する。
境内諸堂で唯一、太平洋戦争を潜り抜け残った堂宇。

 

『大本堂』
1964年(昭和39年)5月落慶。
本尊厄除弘法大師を祭る。
堂内には稚児大師、救世観音像、不動明王、愛染明王、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅を奉安。

 

『清瀧権現堂』
京都・醍醐寺より勧請した清瀧権現をまつる。

 

『聖徳太子堂』

 

『薬師殿』
1963年(昭和38年)12月創建。
1970年(昭和45年)11月、現在のインド風の堂宇になる。
祈祷殿の中央大塔には法輪が掲げられている。
弘法大師、不動明王、般若守護十六善神が奉安されていた。
2006年4月29日、大師河原に新祈祷殿が完成移転し、2008年11月「薬師殿」として落慶。