2013年6月3日
河野談話の元資料にあたってのお願い、橋本邦寿・自民松原市議編(橋本氏はこの後、府議→落選→松原市議)となっている 
橋本氏より回答いただきました。
先日、百田尚樹氏の永遠のゼロと言う小説を読みました。開戦以来、ゼロ戦に乗った熟練パイロットは妻や子のため、必ず生きて帰ると誓いを立て、あと数日で終戦というところで特攻を志願し死んで行った。
その理由を知るべくお孫さんの主人公の青年が、おじいちゃんと戦地をともにした戦友さんに取材に行くと言う内容ですが、その中にかつての戦友さんが、同席してた新聞記者に「解ったような口をきくな」と罵倒するシーンがあるのですが、この本の中にご質問の答えのヒントがあるような気がします。
十分な回答になりませんで、すみません。m(_ _)m
 
 
以下私の返答
お返事ありがとうございます。
しかしながら、回答につきましては、感傷で語るものではなく、あくまで歴史的資料の発掘ですから、小説に答えはありません。
司馬小説が歴史であると強弁するようなものです。
どうぞ元資料にあたって頂きたいと思います。
ちなみに私のページには、馬場・維新代議士が資料にあたられ、それに対する私の返答も掲載しております。
勿論、馬場氏のページのコピーですので、どうぞ馬場氏のページもご覧ください。
折角特攻について書いておられるので、少し触れさせていただきます。
 
こちらにも反論あれば、よろしくお願い致します。
佐官クラス以上の士官で、特攻隊に自ら志願した将校は、日本陸海軍にはない。
「俺も最後の一機で特攻する」といっていた高級将校,将軍も多数いたのであるが。
彼ら高級将校は、特攻とは、その他に愛国の情を示す方法がない未熟練な末端の勇士が行うべきことと考えていた。
軍事技術/戦術・戦略に通じた一級の軍人は、体当たり自爆という1回の任務で命を軽軽しく無駄にすべきではない。
生き続けて、経験をつみ、よりよい作戦を計画、準備、実行する義務がある。
死ぬよりも生きることのほうが難しい。
----このように合理的に考えて、司令官や高級将校の多くは、自ら特攻出撃するのを回避しつつ、要領よく若い未熟練搭乗員を特攻に送り出した。
この無責任な特攻作戦にこそ、軍国主義教育を施し,促進してきたエリート軍人たちの「愛国心」の本性・本音が現れているのではないか。
 
終戦後の特攻についても触れておきます。
45年8月15日、天皇陛下の玉音放送で大日本帝国の降伏を知った宇垣中将は、最後の特攻出撃をかけ、自決しようとした。出撃を取り止めるよう進言する幕僚に対し、中将は言い切った。
「いまだ停戦命令に接せず。多数の純忠の将士のあとを追い、特攻の精神に生きんとするにおいて、考慮の余地はない」
この時点で、宇垣氏はヒロヒト氏の命令違反ですね。
 
45年8月10日,宇垣中将は第三航空艦隊司令長官に任じられ,着任を果たしていないまま、中津留達雄大尉操縦の「彗星」の後席に偵察員の遠藤秋章飛曹長とともに同乗し、合計11機で分散して沖縄方面に出撃した。
とすれば,部下でもない彗星部隊に専権的に特攻出撃を命じたことになり,軍法会議の処罰対象者である。
 
8月16日早朝 沖縄・伊平屋島の砂州に突っ込んでいる彗星艦爆を米軍が発見。
機体から3人の遺体を収容した。
飛行服を着ていない遺体があり、所持品の中から短刀が発見された。(⇒宇垣纒および城山三郎(2001)『指揮官たちの特攻』引用)
 
宇垣纏長官は正確に戦況を知りうる立場にあった。
敗戦前日の8月14日には「対ソ及び対沖縄積極攻撃中止」命令も受け取っていた。
宇垣纏中将は,戦争終結直前に特攻を決意していたいたようだ。
海軍でも苦慮した模様で、宇垣特攻に関しては特攻隊員に与えられる栄誉である二階級特進は行っていない(普通の戦死による一階級特進?)。(⇒最後の特攻(宇垣特攻)引用)
宇垣纏中将は、最高位の軍官の戦後の特攻である。
宇垣纏中将は,日本の敗戦を知りながら,敗戦を伝えられていない有意の若者を特攻の道連れに自決した。
この私兵特攻は、若者に高貴な将軍との殉死の機会を与え,戦後の国民に誇りをもたせるための行為だったのか。
この宇垣氏をどう評価なされますか?
 
この後、橋本氏からの返答はない。
勉強不足を露呈している。