私は資料を見る時は、皆様の産経を参考にしてるんだが、皆は『ムー』かな?
ハローバイバイな関氏かな?
「Believe it or not」なリプリー博物館を回りすぎじゃないのかな?
 
日本軍加害がなかったという連中とさんざんやりあっているので、当然ながらネトウヨが提示するインチキ資料も、それをどう読んでいるのかも見ているし、そのデマに対する反証が書かれた書籍も更に見ている。
 
ネトウヨは本を読まないようなので、一部だけを切り取りして、都合の良いように装飾した資料に騙される。
車の全体を見ずに、タイヤだけ見て、「車は黒くて、やわらかい、動くものだ」と決めつけるようなもの。
 
ネトウヨ側のデマ元は、自身らも切り取るが、原典に当たらない。
研究者が発見してきた資料を逆手にとって、切り取るだけだ。
 
そりゃ研究者じゃなくて評論家だよ。
 
そんな騙されちゃんたちに、デマ元の皆様の産経からの記事を引いてささげたい。
どうか産経愛読者として、次回よりこれをご使用なされたし。

1. 南京大虐殺について

産経新聞が毎週日曜日の連載「子供たちに伝えたい日本人の近現代史」連載48回(2014年3月9日付)より
「戦時国際法のハーグ陸戦法規」という国際ルールにわざわざ言及した上で、「城内外の局地戦で日本軍に捕まり、正当な裁判も経ずに殺された捕虜もいたという」と、記述している。

捕虜やスパイの殺害(処刑)には、裁判での判決が必須条件であると、国際法では定められている。
その国際ルール無視で捕虜を殺害したと逆説的に証明している。

この連載を単独で担当しているのは、皿木喜久(さらきよしひさ)特別記者兼編集委員。
彼は社外の筆者でないどころか、論説委員長も経験済みの記者であり、この連載記事を「産経の意見でない」とは言えまい。


秦郁彦氏によるもの
南京事件は宣戦布告がなく、正規の戦争ではないので、「ハーグ陸戦法規」は適用されないという異論もあるが、当時の日本陸軍刑法にも 同様の規定があった、との指摘。
産経94年7月1日付、論説委員室によるインタビュー記事より
「実は南京虐殺で一番多いのは、この便衣狩りなんです。便衣は国際法の保護を受けられず、処刑されてもしかたがないのですが、その前に裁判をしなければいけません。それを省略したものですから、不法殺害といわざるをえない」と明言している。
 
2. 従軍慰安婦について

秦郁彦氏によるもの
『従軍慰安婦(正・続)』(三一新書)の解説も引用しておきます。
「日本軍のように、慰安婦と呼ばれるセックス・サービス専門の女性軍を大量に戦場へ連行した例は、近代戦史では他にない。」


3代にわたってフジサンケイグループを支配した鹿内信隆氏によるもの
産経新聞社長就任後に桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版/絶版)を出版。
陸軍時代の思い出話をこんなふうに語っている。

「鹿内 (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が……。
桜田 そう、慰安所の開設。
鹿内 そうなんです。 そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの “持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。 料金にも等級をつける。 こんなことを規定してい るのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった」


鹿内氏は召集後、1939年4月から9月にかけて陸軍経理学校で軍の後方支援のノウハ ウを学んでいたのだが、そのときに、慰安所の作り方も叩き込まれたというのだ。
しかも、その内容は今、右派メディアがしきりに喧伝している「公衆衛生の 管理だけ」というようなレベルではない。
鹿内氏の発言に「調弁する女」という表現が出てくるが、「調弁」というのは軍隊用語で兵馬の糧食などを現地で調達 するという意味。
つまり、これは陸軍が慰安婦の調達に関与していたということではないのか。

さらに衝撃的なのが「女の耐久度とか消耗度、それにどこの 女がいいとか悪いとか(中略)といったことまで決めなければならない」という発言だ。
当時の日本軍が現地の女性を完全にモノ扱いし、どんな女がいいのか を品定めする作業までをも士官に命じていたことを証明するものだ。

断っておくが、この鹿内発言は老人の妄想でも記憶違いでもない。
靖国神社の一角に靖 国偕行文庫という図書館があるのだが、そこにこの鹿内発言を裏付ける一冊の本が所蔵されている。

300ページ以上はあろうかという分厚いその本のタイトルは『初級作戦給養百題』。
昭和16年に陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書だ。
表紙はハードカバーで、「日本将校ノ外 閲覧ヲ禁ス」という文字。 その9ページ目、第一章総説に、師団規模の部隊が作戦する際に経理将校が担当する15項目の「作戦給養業務」が解説されている のだが、その最後の項目「其他」の解説に以下の任務が列挙されていたのだ。

1 酒保ノ開設
2 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演藝會ノ開催
3 恤兵品ノ補給 及分配
4 商人ノ監視

ようするに、陸軍の経理将校向け教科書に任務として「慰安所ノ設置」が掲載されていたのである。
軍が関与したのは衛生面の管理 だけという保守派の主張が、明らかな嘘だということがよくわかるだろう。

中曽根元首相が自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達をしていた資料。
 
解説はこちらで。
中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
2014.08.29 エンジョウトオル

 
 
 
3. 第2次大戦開戦は、アジアでなく、日本だけの利己主義的利益追求によるもの 
論説委員長を経験した、同紙特別記者・編集委員の皿木喜久氏の担当記事より

『産経』が毎週日曜日の連載記事「子供たちに伝えたい日本人の近現代史(単行本は「子供たちに伝えたい日本の戦争」)」の中で、1941年12月8日からの対英米戦争の目的について、実際の目的は石油を中心とする軍需資源産地の横取りを目指した”自存自衛”の闘いであって、アジアの解放を第1義のものとしたのではない、と明記しています。


そのことを明記したのは、上記の連載59回目(2014年5月25日・東京本社版)の「シンガポール攻略戦」について、説明している回です。
記事本文にでは、戦後の日本国内で『大東亜戦争』という用語の使用をGHQが禁止したのは、「『大東亜戦争』にアジアの新秩序建設や解放という日本側の『大義名分』を感じ取ったからだ」とし、続けて次のように説明しています。

「当時のアジア、特に東南アジアの大部分は英国、フランス、オランダなど西欧列強や米国の植民地支配下にあった。そのアジアを解放するというのだから、米英などにとって実に都合の悪い『大義名分』だったのだ。

確かに開戦後すぐにアジアから欧米勢力を追い出し『解放』した。だが初めから純粋にアジアの解放や独立のため、自国の存亡をかけ戦ったのだろうか。

最大の目的は『石油』だった。当時すでに石油がなければ、近代国家として『自存』することも『自衛』することもできなくなっていた。特に、海軍の場合、石油は命綱だった。
だが日本国内ではほとんど生産できない。蘭印(オランダ領東インド、現インドネシア)など東南アジアに求めようとしたが、逆に米国などにより石油市場から締め出されてしまう。
そこで『自存自衛』のため、米英などに戦争をしかけたというのが実情だった。

そんな戦争目的を胸に、昭和16年12月8日、マレー半島に上陸を果たした山下奉文中将率いる第25軍はシンガポール目指し、南下を始める」と。
 

以上のように、
「アジア解放」は純粋かつ実際の目的ではなく、石油などの産地である欧米諸国の植民地の横取り=侵略こそが本来の目的だったのだと、明確に説いています。
 
ちなみに記事の全文は、敗戦までのところで区切りにして単行本にした『子供たちに伝えたい日本の戦争』(産経新聞出版、2014年7月、1300円+税)でも読めます。