消滅可能な寺 | エスクローおじさんのブログ

消滅可能な寺

浄土宗の僧侶でジャーナリストの鵜飼秀徳氏がこんな記事を書いていました。(オンラインニュースで流れて来た)

 

國學院大学神道文化学部教授の石井研士氏は、「消滅可能性都市」に宗教法人がどれだけ含まれるかを試算した。すると、全17万6670法人のうち約35.6%にあたる6万2971法人が「消滅可能性」にあることが分かった。

 

東北に多くの寺院を抱える曹洞宗や、北陸に勢力をもつ浄土真宗系宗派、さらには山岳仏教である高野山真言宗などが、消滅割合が大きかった。ちなみに神社本庁所属の神社では、41%の消滅割合となっている。

 

寺院存続の問題は、どの仏教教団も切実な問題として捉えてはいる。しかし、その実態把握調査は、一部の大規模な教団のみに留まる。実際に、教団を挙げて過疎化対策、後継対策などに乗り出し、効果を挙げているところは皆無だ。

 

空き寺(や、空き神社)の増加は、祭りや葬送といった地域コミュニティーを結びつけてきた機能の喪失につながる。ますます、人口の流出が加速する悪循環に入ってしまう。地方創生には寺院の再生が不可欠だと筆者は考える。がしかし、その具体的な方法論は、見いだせずにいるのが正直なところだ。

 

こう書いていますが、最後の所に多少疑問が。

 

「空き寺がコミュニティー機能の喪失につながる」というのは逆で、コミュニティーが崩壊したから空き寺が増えたという方が正しいでしょう。

 

そもそも寺がコミュニティーを形成した時代はとうの昔に終わっており、いまや寺はただの墓ビジネスの窓口でしかないように思います。

 

何かしら地域のコミュニティーを活性化する働きをしているわけでもなく、多くの住民がお寺に集まることなどないのが実情です。

 

そして信者の浄財で成り立ってきたお寺(建物や仏像)は消滅するしかないでしょう。

 

ということで、いままで資金があったことで十分理解していなかった寺社仏閣の存在が、人口が減少して資金が枯渇し始めたことで問題化したということです。金の切れ目が縁の切れ目?

 

いやいや真の信仰心はなくなりませんから、そう騒がなくても大丈夫です。

 

一方神社も同様の悩みを持っていると思いますが、神社は仏教が流入してきたことで社を建てたりし始めただけのことで、本来は磐座(いわくら)など岩や大木などを神の依り代と崇めていたなので、建物が亡くなったとしても信仰心はなくなりません。

 

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