エスクローおじさんのブログ
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ゴールデンウィークの読書・司馬遼太郎の『峠』

2年連続外出を控えるゴールデンウィークということで、旅行もせず自宅で読書三昧で過ごしました。

 

何冊か読んだ中から、司馬遼太郎の『峠』(上・下2巻)をご紹介したいと思います。

 

『峠』は、この7月1日から公開される映画『峠』の原作となったこともあり、20年ほど前に読んだものを引っ張り出してきて再読したものです。

 

時代は江戸末期。尊皇派と佐幕派に分かれて日本を2分した戊辰戦争が舞台です。この時代と言うと西郷隆盛や大久保利通、坂本龍馬、高杉晋作や松平容保、徳川慶喜、新選組あたりが人気がありますが、私個人はこの『峠』の主人公である越後長岡藩の家老河合継之助に魅かれるところがあります。

 

弱小藩にもかかわらず、河合の先見により洋式の軍隊を保有し資金を貯め込んで、幕軍・官軍どちらにも就かず、自主独立を目指した特異な人です。小説の中ではスイスやプロシアのような国を目指したのではないかと書かれています。

 

結果的に官軍の受け入れるところではなくなって、会津藩や米沢藩とともに幕軍側に就くことになり、戊辰戦争最大の戦争と言われる北越戦争を戦うことになった張本人です。

 

官軍に下ったり、幕軍に加担して名を上げることもできたにも関わらず、困難な道を選択して武士だけでなく農民や商人まで戦火に巻き込んだために、河合を評価する人とそうでない人に大きく分かれることになったようです。戦死後、何人もの人が河合の墓を鞭打ちに来たという逸話も残されています。

 

実際の人物がどのような人であったか知る由もありませんが、この小説で描かれている河合は「最後の武士」として美学に殉じた人ということになっていますので、これをそのまま受け入れるしかありません。

 

そういう立場で読むと、芯が通った生き方、考え方をした人だと思え、最近はこのような人になかなか巡り合えないなと思います。

 

もし北越戦争に勝利していたら(最終的には明治維新は避けられなかったと思いますが)、独立国長岡が実現し、日本の国体も少し変わったものになっていたかも知れません。

 

歴史に「もし」はないので、現在の目で見ると100%シンパシーを持つことはできませんが、少なくとも西郷や大久保が造った国体とは異なる世界を見ていた男がいたという点で大変魅かれる人物です。

 

ちなみに映画の河合継之助役は役所広司が務めるようです。

 

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ブータン映画『山の学校』と新型コロナ対策

ブータン映画『山の学校』を観てきました。

 

首都ティンプーの若手教員がオーストラリア移住を夢見ていたところ、山奥の小学校に欠員があるということで赴任を命じられます。最寄りの駅から徒歩で6日かかる山奥の小学校。

 

本人はこのような僻地では続けられないと、着任を断って帰るつもりであったところ、子供たちの暮らしぶりを見ているうちに教鞭をとり、そのうち生活になじんでいくというストーリーで、一面山に囲まれた草原で、電気もガスも水道もない人口56人の村の生活が生き生きと描かれています。

 

ティンプーの生活では、スマホで音楽を聴いたり日本の若者と変わらない生活を送っていたのに、そうしたことが一切できない。(ブータンの首都がこれほど都会になっていたとは知りませんでした)

 

ところでこのブータンも新型コロナの影響を受けているそうですが、人口77万人で毎日の感染者数は30名程度に抑えられているそうです。これは首相が医師出身者だそうで、早くから対策の重要性を認識して、ワクチンも今や成人の9割が接種済みという対応が功を奏したそうです。

 

また国王が「国民が全員接種するまで、自分は打たない。」と宣言したことから、国民が早く国王のために打ってしまおうと我先に摂取した結果、接種率が上がったと言われています。さすが尊敬を集めている国王です。(少し前に来日されたイケメン・美女のカップルです)

 

ちなみに映画に登場したような山奥の村には、車や列車は入ることができないので、ヘリコプターでワクチンを輸送したそうです。

 

この国はGNH(国民総幸福度)で世界一と言われていますが、映画の中にも「そう言われているらしい。」というセリフが2度出てきます。

 

ただ現地では私たちが考えているような評価ではないようで、映画の中に一定の矛盾も描かれています。

 

しかし人間はある程度のところでも生活できるし、幸福はそこにあるものなのだと、改めて知らされる映画でした。一度ご覧ください。

 

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感染防止対策で営業自粛したときの補償金

COVID-19感染拡大が止まらない中、お酒を提供する店を中心に営業自粛・時短要請が出て業界は瀕死の状態です。日本酒ファンの私は、名古屋日本酒をたしなむ会が開催できず家飲みで我慢している状態です。

 

営業自粛・時短調整に応じた店舗には、自治体によって異なるようですが、補償金が支給されるようですが、これはどんなものでしょうか?規模や業態、日頃の売上高にかかわらず一律いくらで支給されているようです。

 

例えばアパート経営をしていて、近所でクラスターが頻発するというので、その地域を入居者が敬遠するようになり、思ったような賃料が取れなくなった場合のオーナーは支給対象になるでしょうか?

 

マンションの1階に入居していた飲食店が、思ったような売り上げがなくなってしまって退去した場合はどうでしょうか?(家賃補償を使う?)

 

あるいはアパート経営をしていた大家さんが、本業の会社勤めの給料が激減して暮らしが厳しくなったらどうでしょう?

 

勤務先から解雇されたら?

 

などなど飲食業界だけでなく、多くの業界の方々が苦しんでいると思いますが、補償金はどうなるでしょうか?

 

私はどうもこの補償金に違和感があります。たまたまCOVID-19が蔓延して収入が減った人が増えたために、給与の補填、売り上げの補填の意味が強い現金を支給するというのはどうでしょうか?

 

であれば、COVID-19に関わらず、日常已むに已まれず解雇され収入がなくなる人もいるはずです。この人たちには失業保険が適用されれば一定期間生活ができると思いますが、その後は休業している間、1日いくらという補償金は出ません。

 

アパートオーナーには家賃保証という制度がありますが、サラリーマンには給与保証はありませんし、自営業者にも売上保証という制度はありません。つまり売り上げの補填という意味のお金を支給することに違和感があるのです。

 

どうも日本の制度は、そのときそのときに苦しくなった業種に補償金を支給することが多いようですが、それは本来政治がすることではないと思います。

 

政治はどのような業種でも何かがあったとしても、失業した人に健康で文化的な最低限度の生活を保証することだと思います。そのために日頃からサーフティネットを強化しておく必要があると考えます。

 

例えば生活保護はセーフティネットの一つだと思いますが、日本の生活保護制度は支給対象が非常に限られている一方で支給額が諸外国と比較して高額です。そのため審査に時間がかかるのと、支給した後の生活の追跡調査に無駄な時間と労力を費やすことになります。

 

例えば飲食店が厳しいのなら、できるところまで頑張ってもらって、どうしようもなくなったら、生活保護のような現金支給の制度を社長も従業員も利用できるようにしておけば、公平性が高いと思います。店舗の規模や売上高に関わらず一律いくらという補償金を支給することは矛盾しています。(補償金バブルで喜んでいる店もあります)

 

もう一度、売り上げ補償や補填ではなく、どうしても厳しくなったときのセーフティネットを充実しておくこと。これが必要なことです。これがあれば、どのような業種の人でも、どのような理由で厳しくなった人でも、どのような規模の店舗の経営者も安心して支給を受けることができ、最低限度の生活ができるので、再び頑張って再起することができると思います。

 

たまたま今回はCOVID-19の影響を受けていない人でも、今後何かで影響を受け売り上げが激減することもあり得るのです。だれでも利用できるセーフティネットを強化しておけば心配することもありません。

 

そうしたセーフティーネットが見えないので、自殺してしまう人が増えるのです。

 

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オレンジリング・認知症サポーター登録をしたら・・・

オレンジリングとは、認知症サポ-ターの養成講座を受講した方に配布されるオレンジ色の腕輪のことです。

 

日常生活でこの腕輪を付けていると、認知症の方からサポートを求められたり、周囲の人に告知するきっかけになったりすることを狙ったものです。

 

私も受講し登録したのでオレンジリングをいただきました。せっかくですから毎日身に着けているのですが、そう簡単に認知症の方に遭遇するものではありません。今のところ何も起こっていません。

 

ただし、どうも心持ちが変わったような気がします。

 

認知症の人と接触するということは、一般的な話が通じない人と根気よく付き合うことですので、普段の人との接触とは違うということを日頃から考えておかなければなりません。

 

そう思うと日常の心構えが大切で、普段から準備しておかないとざというとき対応できないのだろうと思います。そのような心待ちになると、認知症の人だけでなく普通の人とも穏やかに接触できるような気になるのです。

 

ということでオレンジリングは認知症に方に効果があるのではなく、自分自身に大きな効果があったのだと思うようになりました。思わぬ効果です。

 

講座は皆様がお住まいの地域の「地域包括支援センター」で開催されています。日程は不定期のようなので、詳しくは支援センターホームページでご確認ください。受講無料・90分の座学となります。

 

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東京オリンピック・パラリンピックの聖火リレーって必要?

COVID-19の再拡大によって、オリンピックの聖火リレーの中止や変更が相次いでいます。関係者・スポンサーはやり繰りに大忙しと聞いています。

 

「人は集まらないで!」「来ないで!」と言っている傍から、聖火リレーでオリンピックを盛り上げようという二律背反的な命題をクリアすること自体が無理ではないでしょうか?

 

私の実家の岐阜県を通過した際には、妹が沿道で見たそうですが、先頭集団は大型のスポンサーバスが連なっており、それに遮られて聖火ランナーが目の前に来るまでわからなかったそうで、あっと言う間に終わったそうです。「あれはダメだわ。」と申しておりました。

 

前回1964年の東京オリンピックのとき、私は小学生でした。聖火リレーは、記憶が正しければ長い時間道路わきに並んで待機し、まだかまだかと待っていたところ、あっという間にランナーが通過してしまったことを覚えています。マラソンランナーが着るユニフォ-ム姿の男性だったと思いますが、手を振るでもなくただ高速で走り去りました。当時は先導車はあったと思いますが、スポンサーバスはなかったような・・・

 

「歴史ある聖火リレーは絶対にやらねばいけない。日本で止める訳にはいかない。」と言っている人がいましたが、先日大東亜戦争について調べていたところ聖火リレーの歴史を知ることができました。

 

聖火リレーは歴史がある訳ではなく、最初に行われたのは1936年のベルリンオリンピックのとき、国威発揚のためにヒトラーが採用を決めたのが最初ということで、ギリシャのオリンピアからベルリンを3422人のランナーで繋いだそうです。大して歴史がある訳ではないのです。

 

当時は戦時中なので国威発揚が主な目的だったと思いますが、今のオリンピックでは経済優先、重要なビジネスの1つとされているので、スポンサーの意向を無視して延期や中止することはできないし、できるだ多くの人にラッピングされたスポンサーバスを見てもらうために、著名人がゆっくり走って手を振り笑顔を振りまかないといけないのです。どちらも似たような意味合いです。

 

ちなみに1964年の聖火リレーには「アジア初開催の大会」とか「近代オリンピック復興70周年」を記念するというお題目があったとのこと。

 

次回からはVRで聖火リレーをすれば、何度でも見ることができるし、初音ミクもランナーになれるし、グーグルと協力すれば日本全国すべての道路を走ることもできるし、密にもなりません。良いことづくめですが・・・

 

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