多度大社上げ馬神事の結末と総括
馬を興奮させ、蹴とばして急な坂を駆け上がらせ、最後には2mもある障害を越えられるかどうかで今年の作物のできを占うとは、神事とはいえ動物虐待も甚だしい!と大問題に発展した三重県多度大社の上げ馬神事が先週末催行されました。
今年は最後の障害を取り除くなど、批判に応えて緩和策を講じたため、すべての人馬が最終地点まで到達できたようです。(これで今年は豊作間違いなし!ただし作物ができ過ぎると価格が下がって農家は大変)
これに対して昨日は名古屋の民放各局を中心に多くの報道がありました。その中からいくつかご紹介します。
主催者:時代の変化に応じてできることろは改善して催行することができてよかった。
動物保護団体:馬を使っていることに変わりはない。実際の馬に代わって絵馬を使っている神社もあるのだから、もっと工夫してほしい。
見物客A:最後の障害がないと盛り上がりに欠ける。
見物客B:「やめてくれ!」と言うお馬さんの声が聞こえなくて良かった。
乗り手の母親:これなら落馬してケガをすることもないので安心。
乗り手:無事通過することができて良かった。
地元民:こんなの伝統ある神事じゃない。
ニュースのコメンテーター:伝統と時代の変化を考慮することが大切なので、今後も話し合って工夫して続けて行ってほしい。
ニュース:昨年と比較して見物客は激減し、また神事を少し見ただけで帰る人が目立った。
これらすべてのコメントは、この問題の本質を突いていないと考えます。
動物保護団体だけではなく、ここにコメントしたすべての人は、人と動物と自然と神の関係をどう考えているのでしょうか?
それが一番重要な問題ですが、誰もそこに言及していません。言及した人が居たかも知れませんが、報道では一切取り上げられません。
「時代の変化」とは一体何のことでしょうか?
おそらく神事発祥の時代では考えられないような、自立した個人である人間が自然を克服してコントロールすることができるという考え方が一般的になっている社会になっていることを指しているのでしょう。
人間中心の世界なのだから、日常的に神と共存する必要はない。せいぜいお正月に初詣をするときか、神事のときに見物に行くか、困った時にお願いことをするだけの存在である。
もう一度書きます。
この問題の一番重要なことは「みなさんが人と動物と自然と神の関係を日頃どう考えているか」ということにあります。
何を言っているのかわからない方には、先日も書きましたが『知里幸恵 アイヌ神謡集』(岩波書店刊・720円+税)をお読みいただくことをお薦めします。
神謡の中には、動物が殺されたり死んだりする話がたくさん登場します。これを読んで可哀そうと思われる方は、読み直してほしいです。
本を読むことが嫌いという人は、全文を読まなくても良いので冒頭の序文だけでも立ち読み(岩波書店さんごめんなんさい)してみて下さい。
人と動物と自然と神がどのような関係であったかがわかります。
そうすれば紹介したようなコメントは出ないはずです。
断っておきますが、私は動物虐待反対派だけを非難しているのではありません。人と動物と自然と神の関係をわからなくしている現代知にどっぷり浸かってしまったことを指摘しているのです。
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【昨夜の日本酒】
京都市の増田徳兵衛商店さんの『月の桂 純米吟醸酒 夏の生酒』
学生時代は、この酒が一番おいしいと思っていたのですが、その後いろいろな銘柄を知るにつけ遠ざかっていました。
何十年ぶりに飲みましたが、意外にいけるじゃん。旬の最終局面を迎えたホタルイカを生姜醤油でいただきました。